一族の伝説や家系図によると、ユスポフ家の先祖はタタールのイスラム教徒で、10〜12世紀、ダマスカス、メディナ、メッカ、コンスタンチノーブル、エジプト、アンティオキアで高位の軍人として時の王家に仕え、のちに、自らが首長やスルタンとなった。
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ババトゥクレス
・メッカのスルタン
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テルメス(12世紀) ババトゥクレスの三男
・カスピ海沿岸に移住した
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イェディゲィ(1340年代-1419) テルメスの子孫
・ティムールの軍人
・ヴォルガ川とヤイーク川(ウラル山脈)の間に、ノガイ遊牧民共同体を建国した
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(息子)
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(息子)
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ハン・ユスフ(1480年代-1555) イェディゲィのひ孫
・内戦で殺され、息子2人が、モスクワへ送られた
・皇帝イワン4世に気に入られ、ヤロスラブリ近郊のロマノフ地方に領地を与えられた
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ミルザ(?-1611) ユスフの末子
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(息子)
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アブドゥル・ミルザ(?-1694)
・1681年、一族の中で最初にロシア正教に改宗し、ドミトリーと改名した
・ここから公子の称号が与えられ、ユスポフと呼ばれ始めた
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グリゴリー・ドミトリエヴィチ(1676-1730)
・ピョートル大帝の側近の軍人
・さらに、ニジニ・ノブゴロド、クルクス、カルーガ・リャザン、ハリコフ、ヴォロネジ、ヤロスラブリの各州に、領地を与えられる
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ボリス・グリゴリエヴィチ(1695-1759)
・一族で最初の文官として成功
・モスクワ総督や商務省総裁などを歴任
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ニコライ・ボリソヴィチ(1751-1831)
・最も傑出した学者の一人で、エカテリーナ二世の側近
・政治家、外交官、美術鑑定家、美術コレクター、芸術のパトロン
・帝国劇場や帝国ガラス工場の責任者、エルミタージュ美術館館長などを歴任
・妻は、グリゴリー・ポチョムキンの姪で、エカテリーナ二世の侍女の
タチアナ・ヴァシリエヴナ・ポチョムキナ(1769-1841)
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ボリス・ニコラィエヴィチ(1794-1849) ニコライ・ボリソヴィチの一人息子
・1830年にモイカ宮殿を購入
・実務家で、領地がもたらす利益を増大させた
・妻はジナイダ(1809-1893)、夫ボリスの死後、再婚し、フランスに移住
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ニコライ・ボリソヴィチ(1827-1891) ボリス・ニコラィエヴィチの一人息子
・通称、小ニコライ、芸術、特に音楽のパトロン、作曲家であり、優れたヴァイオリニスト
・1855年、ロシア使節団の一員としてバイエルンを訪問
・妻はいとこのタチアナ・アレクサンドロヴナ・ド・リボーピエール伯爵夫人(1828-1879)
・夫妻には、娘二人(ジナイダと早逝したタチアナ)
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ジナイダ・ニコラエヴナ(1861-1939) ニコライ・ボリソヴィチの長女
・夫は、軍人でモスクワ総督も務めたフェリックス・フェリクソヴィチ・スマロコフ=エルストン伯爵(1856-1928)で、父方はプロイセン王家(家伝ではフリードリヒ・ウィリアム4世)の血縁
・2人の男子をもうけるが、長男はニコライ(1883-1908)は決闘で死亡
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フェリックス・フェリクソヴィチ(1887-1967) ジナイダ・ニコラエヴナの次男
・妻はイリーナ・アレクサンドロヴナ(1895-1970)、ニコライ2世の姪
・1919年、家族と両親と共に、イギリスからフランスへ亡命
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イリーナ・フェリクソヴナ(1915-1983) フェリックス・フェリクソヴィチの一人娘
・夫はニコライ・ドミトリエヴィチ・シェレメーテフ、シェレメーテフ伯爵の子孫
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クセニア・ニコラエヴナ・シェレメーテヴァ(1942-) イリーナ・フェリクソヴナの一人娘
・1991年に、ロシア、及びモイカ宮殿を初訪問、のちに、ロシア市民権を獲得
・夫はイリアス・スフィリス(ギリシャ国籍)
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タチアナ・スフィリス(1968-) クセニア・ニコラエヴナの一人娘
・夫はアンソニー・バンバキディス
・子は、娘が二人(マリリアとヤスミン・クセニア)
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確かに、アブドゥル・ミルザが正教会に改宗した時、イスラム教界隈からかけられたという"魔術師の呪い"を信じたくなる(こじつけたくなる)くらい、家系図の後半は"長男"があとを継いでいません。早逝どころか、息子が授からないし、娘も1〜2人。
でも、でくのぼうさんのおじいさま、ニコライ・ボリソヴィチまでの二百年間で一族の基盤はばっちりかためられたわけですし、"呪い"があろうとなかろうと、ロシア革命は起きて亡命せざるを得なかったわけですし。
それに、娘が跡継ぎだからこそ、細々でも現代まで血脈が続いてきたのかもしれません。女のほうが総じて順応性があって、したたかですから。でくのぼうさんみたいに、ポキンと折れずにしぶとく生き抜く。
そして、でくのぼうさんのひ孫は、ギリシャ国籍の男性と結婚し、ついに、子どもの氏名から父称が消えました。
参考資料
・Wikipedia
・THE YUSUPOV PALACE