フェリシモで購入した絵皿だと記憶しています。
チェブラーシカは現在はどこかが著作権を持っているはずですが、長い間、ありませんでした。著作権を重視していない時代に、しかも、鉄のカーテンの向こう側で生まれたキャラクターでしたから。そもそも、日本人のほとんどにとっても、馴染みも興味もないキャラクターでしたし。
著作権のなさというのは、ソ連邦内でも同様で、元は国営テレビ(国営しかありません)の子ども番組の主人公。人形をコマ撮りでアニメーション化したものでした。それを単純にコピーしたのではなく、いろんな、例えば頭身の比が違う、耳の大きさが違うなど、ドラえもんやスヌーピーの兄弟のような変形デザインが溢れていました。
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日本ではかわいいキャラクターのみの価値ですし、当時のソ連邦でも子どもにとってはそうでした。しかし本当は、言論統制下、物言えば唇寒し秋の風でしたので(今もそうですが)、子ども番組の振りをして、共産主義や党政府を皮肉っていた(批判していた)と言われています。
というのも、テレビ局に就職できたアート的に優秀な人たちでも、共産党に忠誠を誓わないと、子ども番組などメインでない窓際部署に配属されました。そこで腐ってしまった人もいるのでしょうけど、そうならなかった人たちが、本気で作ったのが《チェブラーシカ》でした。
内容は、一見すると、共産主義万歳! みんなで仲良くするのが一番! な、おなか一杯のスローガンストーリーを人形たちが繰り広げていくのですが、高感度の受信能力を持った大人には、そこから、体制批判を感じ、大いに、しかし密かに支持されたそうです。
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それが共産主義や共産党の宣伝のため(の嘘)であっても、ポスターや商品のパッケージ、子ども番組に心血を注いで、自分の芸術を表現した人たちがいました。
ですから、バレエや音楽、フィギュアスケート、絵画だけでなく、キャンディの包み紙や啓蒙ポスターなどでも、ソ連時代のロシアの芸術性の高さは、今も評価され続けているのでしょう。
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さて、時流に乗り、当主のセンスを基に、国費と私財を投じて、フランスなどから芸術品を買い集めたユスポフ家。革命後、かなりの数が、エルミタージュ美術館やプーシキン美術館などの所蔵となりました。それでも、モイカ宮殿やアルハンゲリスコエ宮殿には、まだまだ充分な芸術品が溢れています。
少なくともソ連時代は、子どもへのアート教育は手厚いものでしたので、世界一の富豪が、故国の未来のために還元したといえるのかもしれません。
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以下、そんな還元品であるアルハンゲリスコエ宮殿について、アエロフロート機内誌(2015年秋)からの引用です。
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・・・18世紀後半、ヨーロッパは絶対君主制の最後の栄華の時代を迎えていた。エカテリーナ二世に倣って、廷臣たちは領地を華やかに飾った。当時のユスポフ家当主ニコライは、膨大な美術品コレクションを披露する場として、アルハンゲリスコエの宮殿と庭園を整備した。
ここは、モスクワの中心から北西に20q、車で40分ほどのところにあり、現在は国立アルハンゲリスコエ庭園博物館となっている。
アルハンゲルスコエが歴史に登場するのは16世紀のこと。モスクワ川の土手に建てられた「アルハンゲル(大天使)・ミハエル教会」が地名の由来の荘園。多くの大貴族の所有を経て、19世紀初頭にユスポフ家の領地となった。
ヴェルサイユ宮殿を模したイタリア式テラス庭園があり、これは当時のロシアでは稀なスタイルであった。ほかにも、厳格なシンメトリーを成すフランス式庭園、自然に近い姿を再現する英国式庭園もある。決闘で亡くなったフェリックスの兄、ニコライを悼んだ記念碑《悲しみ》も建てられている。
また、半円状の両翼を持つユスポフ家の霊廟も1916年に建てられたが、当主が亡命したため使われることはなく、現在はコンサートなどに利用されている・・・