翡翠の歌

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サンクト・ペテルブルク : 建物 [ロシアとウクライナ・スパイの見分け方]




画像は、2017年くらいに、サンクト・ペテルブルク市内のホテルから撮った、古い建物の裏側です。夜になると、通りも建物も真っ暗で、唯一、一階の小さな扉から赤い光が漏れていました(何らかの夜のお店です)。エスピオナージ好きにはたまりません。


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その百年前、ネヴァ川に停泊した巡洋艦オーロラ号からの一発の空砲を合図に、向かいの冬宮で会議を開いていた臨時政府メンバーを襲撃し、ほぼ無血のクーデターが成就。モスクワでは、労働者と、臨時政府に忠誠を誓う士官学校生徒軍との10日間の激戦。


勃発した、白衛軍(反ボリシェビキ)と赤軍(ボリシェビキ)の激しい内戦は、1920年まで続きました。レーニン死後(1924年)のスターリン独裁下、1934年から始まった古参のボリシェビキや農業政策に反対した農民を含む大粛清(隣人や知人、親類のロシア人同士の密告大合戦)により、一説には2千万人!を殺害、多数の教会を爆破し、素人の机上の空論で強行した農工業、経済政策の失敗で飢餓、物資欠乏・・・。ロシアって、もう、振り切れ度合いが想像を超えている感じです。





スターリンの本名はジュガシヴィリで、鋼鉄を表すスターリからきている“鋼鉄の人”という、自分でつけた筆名。グルジア出身の本名が出世に邪魔になるための改名かもしれません。そして、思い込みが激しい彼の素人政策は、本来、豊かな大地であるウクライナに大飢饉を招き、数十万人を死なせました。


それなのに、21世紀に入り、共産政権崩壊後の混乱と欧米からの後進国扱いの中、この、“イメージ的に(だけ)強い”スターリンが、強いもの好きのロシア人に人気復活となり、飢餓で多数の身内や知人を失った、恨み骨髄のウクライナ人との反目が生じていました。


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ウクライナ語はロシア語とよく似る言語ですが、ウクライナ人にとってロシア語は“ウクライナ語から発生した方言”扱いです。ボルシチはウクライナ料理!!という主張と同じように、正教を含め、文化はウクライナ発祥、あるいはウクライナを経て、ヨーロッパの端っこ、ど田舎のロシアに伝わった(伝えてやった)説です。


それに対して、“辺境”を意味する“ウ ・ クライナ”が国名の由来と主張(あくまで一方的な主張です)し、大ロシア帝国の端っこのくせに、と馬鹿にするロシア人たち。日本人から見ると東京VS京都・大阪のような関係?ですが、彼らは命がかかっています。ウクライナ人は、2014年にクリミア、そして2024年の今、東部を奪われれば、早晩全てがロシア飲み込まれてしまうと恐れ、踏ん張っているのです。


でも、血縁や出身、思想や任務、商売のために実は親ロシアであるウクライナ人も少なからずおり、見わけもつきませんから、政府内も軍部も市民も、一枚岩ではなく、苦戦しています。





「見分けがつかない」と言えば、2024年8月、こんなニュース記事がありました。


「ウクライナのパンの一種の名前が、ウクライナ語が母国語である人にしか正しく発音できないので、ロシア人を見分ける方法に使われている。そして、それを、ウクライナが開発した起死回生の兵器、ジェットエンジン搭載巡航ミサイルに命名した」


паляниця
パリャヌィツィア
ロシア語話者には、ポラニツァとなりやすいそうです。大きな丸いパンで、焼く時に一直線に切れ込みを入れます。表面は木の皮のようにパリッとしています。





いやいや、怖いですよ。平時の冗談ならともかく、戦時でこれは。私など緊張でどもってしまう。それに、母国語って? なまる人もいますよね? ロシア側についているウクライナ人だっていますよね?





"墨攻"という映画の中で、これから外敵との防衛戦という時、城内の民衆が広場に集められ、一斉に体操? 踊り? し始めるのです。結構、速い動きで、立ったりしゃがんだり、右手上げたり、ジャンプしたり、回ったり。で、1人だけ違う動きをした。それがスパイ。


老いも若きも、こんな時のために練習していたのでしょうね。潜り込んだばかりのスパイには真似できなかった。でも、長年、仕込まれていたスパイなら? 私のように、緊張しいで、しかも運動神経欠乏症は?





スパイのあぶり出しは必要ですが、これが行き過ぎると、相互監視社会となって、些細な違いを指摘し始め、行きつく先は、自分で自分の首、絞めます。でも、そうなっていくのが、戦時下の心理。戦争は敵を殺すだけでなく、自身の未来も殺す・・・仕掛けたほうも、仕掛けられたほうも。