ペトロザボーツクへ向かう寝台列車からの風景です。サンクト・ペテルブルクを夜、出発し、翌朝、到着します。
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走破に一週間かかるシベリア鉄道には、ソ連時代に、ハバロフスクからモスクワまで乗車しました(途中、イルクーツクで観光)。極東の始点はウラジオストクですが、当時、外国人に開放されていなかったので、ウラジオストクから真夜中に到着した列車にハバロフスクから乗車しました。
ロシア連邦になり、ようやく外国人も本当の始発駅から乗車できるようになりました。客車自体も、観光促進の一環でグレードアップしましたので、今度はモスクワから下りに乗って、ウラジオストクから羽田へ飛んで帰ってこようと計画していましたが、ウクライナ侵攻でパーです。
今やアエロフロートもシベリア鉄道会社(破産報道あり)も時代を逆戻りの元の木阿弥で、運転手や技術職は軍にとられ、日本は非友好国となり、ウラジオストクー羽田便も就航直後になくなりました。折角の内装も剥がされ、軍事物資や兵士の輸送に使われているかもしれません。
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さて当時、私は旅行に備え、ソ連全土が収まった新聞紙大の地図を買いました。ルートを辿りながら到着時刻を記録していくためです。
新潟から着いたハバロフスク空港での入国手続き時、その地図のおかげで、しばし質問(尋問?)タイム。外国人が詳細な地図や(客観的事実であっても)体制批判(に繋がりそうな)の書籍などを持ち込むのはダメだとは聞いていましたが、日本でそこらの書店で売っているレベルの地図で? そう、北方4島が日本の領土になっていたのです。そりゃあ、日本の会社が日本語で日本で発行した地図ですもんね。
ガランとした部屋で強面の軍人が二人、時折私のほうに顔を向けながら、地図を見ては話し合い。まあ無邪気な女子大生だったからか、取り上げられることなく通過できました。そんな時代でした。
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どうにか入国した後、懲りない私は原作理解を深めるため、日本では入手できなかった詳細な地図を買おうと探しましたが見つけられませんでした。まあ、後から考えれば、自国民にすらいろいろ非公開なんですよね。そして、もし入手できたとしても、所詮は出国時押収され持ち出せなかったでしょう。まったく、若いって無知で怖いもの知らず。
よかったのは、地図に限らず書籍(ロシア語のも日本語のも)も、出入国時じっくり調べられたので、図らずもアレクセイたち非合法革命家の気分を味わう体験ができたことでしょうか。
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この経験から、いくら伝手があって多少ソビエト政府から優遇されたとはいえ、原作者にも詳しい地図は入手できなかったのでは?と思います。