1階にあるこの書斎や、両隣のビリヤード室、音楽室、"アラビアの間"などは、フェリックスのパパ(フェリックス)の居室エリアです。2階はママ(ジナイダ)のエリア。
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完全に当時のままなのかは不明ですが、天井までの書棚にぐるっと囲まれた、いかにもな書斎。机は原作ほどは大きくなかったです。扉は二つあり、一方は音楽を聴く部屋に続き、ピアノや大きなオルゴール、たくさんの椅子が置かれ、広さは小学校の教室くらいに感じました(これらの椅子は現在のイベント用でしょう)。
もう一方は寝室やビリヤード室、その先は、"アラビアの間"に繋がっています。「これ欲しい」、「次はあれ欲しい」と思い付きで部屋を造っていったような感じですね。更には棚の裏などに隠し部屋が複数あり、革命政府や暴徒から守ろうと、大量の美術品や宝飾品が隠してありました(絵画だけで万を越えたそう)。
そうそう、映画『エカテリーナ二世』の中でも場面があったように、壁の裏側にそこそこのスペースがあって、部屋をのぞき見(監視)できるようですから、宮殿や大邸宅において、表の部屋とウラの部屋(大小の隠し部屋や配管)の面積割合は、結構、拮抗しているのかも知れません。
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ユスポフ公爵家がこの宮殿の所有者になってから、最新の流行を取り入れた大規模な改装がたびたびなされました。工事中は、ヨーロッパへ長期旅行に行き、先々で家具や美術品を買い付け、「これも使ってね」とどんどん送ったそうです。
そうして有り余る財力と美意識で実現した新内装は、皇帝ご一家ご臨席の大パーティーを開いてお披露目されました。そんなことが、実に2月革命直前まで行われていたのです。
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フェリックスとイリーナ若夫妻には、宮殿のほかのエリアが与えられ、新婚旅行中に大規模な内装工事が行われましたが、ほとんど使うことなく、フランスに亡命しました。
以下、モイカ宮殿の最後の改装について、フェリックス・ユスポフ著 《失われた輝き》からの引用です(原文は英語)。
・・・ルイ16世様式から帝国時代の様式まで、幅広い様式を取り入れており、それらは、私のお気に入りの時代だった。革命が勃発した時、かろうじて完成したが、私たちはせっかく整えた家を楽しむことができなかった・・・
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さて、見たところ、“宮殿”の居住空間に少なくとも主人家族が使う独立した“廊下”はないようです。映画『エカテリーナ二世』や『アンナ・カレーニナ』などにも登場しますが、部屋は全部繋がっていて、扉の先に別の用途の部屋が出現する感じですね。日本のお屋敷も広縁みたいな廊下は別として、内部は同じ構造かも知れません。身近過ぎる例ではありますが、公営団地によくある田の字型と同じ? これからは宮殿タイプって呼びましょうか。
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気になるのは使い勝手とプライバシー。もしかしたら、ここはご主人様、ここは奥様、ここは・・・って完全に別れていて、会わなくても(すっぴん顔を見せなくても)生活できるの? それとも貴族ってそんなこと気にしないの?
ですから現実的には吹雪の夜、我らがヒロインは、廊下を走りながら横に並んだ扉を開けまくったのではなく、正面の扉を開けながら進み続けたわけです。と言うことは、ヴェーラもアデールも廊下を歩いていたら扉の隙間から“たまたま見えちゃった”のではなく、主のエリア奥まで入っての確信犯的のぞきってことになりますかね。