高い鐘楼がシンボルの聖ペテロと聖パウロの聖堂があり、全ロシア皇帝の霊廟となっていますが、それを囲う要塞こそが当初の最重要目的、スウェーデンとの戦争に備えるための、サンクト・ペテルブルク最初の建造物です。
しかし、結果的には一度もその目的に使われたことはなく、すぐに要塞(画像の手前の、塀に見えるところ)の角(稜堡)を“利用”して、政治犯の監獄にしました(何故に?)。最初の囚人はこの都を建設したピョートル大帝の息子アレクセイで、死刑執行の前に死亡したと伝えられています。
以降、皇帝にとって不都合な人物や反政府活動家が収容され、要塞内の司令官の館の一室で裁判が行われました。
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画像で分かるように、要塞部分は川面すれすれの高さ。雪融けなどで増水すると溺れちゃう。何しろ三角洲であるサンクト・ペテルブルク市街自体、洪水に悩まされ続けましたから。
僭称者エリザヴェータ・アレクセーエヴナ・タラカノワ(本名不明・それにしても意味深な苗字です)が、独房で足元に迫る水の恐怖におびえる様子(伝説)を描いた絵画があります(2018年に来日しました)。"公女タラカノワ トレチャコフ美術館"で画像検索してみてください。『名画で読み解くロマノフ家12の物語』(中野京子著)の表紙にもなっていますね。映画『墨攻』のラストシーンのようで夢に見そう。
さて、果たして“彼”は短期間(多分)の拘留後の銃殺刑がよかったのか、長期間の幽閉の末の溺死がよかったのか・・・画的には前者でしょう。ただ、婚約者は爆死⇒「砕けた氷と一緒に河を流れて行くさ」ですし、弟夫婦もそれぞれ溺死と、何だか水だらけ。もっとも「もしかして生きてる?」説はそれでないと生まれませんね。