翡翠の歌

07 別れ


オルフェウスの窓 二次創作 翡翠の歌


(1)



休暇が明けて、ずっと使っていた練習室を変えた。
七番の部屋。
あそこには隠れて聴ける場所が・・・なかった。


辛かった。
苦しかった。


そして・・・諦めようって。
元々望みなんてなかったのだもの。
私は男の子で・・・皇室の、ニコライの手先。
どう考えたって無理。
これを機会にって。
でも・・・どうしても目は・・・どうしてもあなたを追ってしまった、探してしまった。
止められなかった。




今、どこにいるの?


何度尋ねても結局教えてくれなかった・・・本当に意地悪。


街で見かけたのかしら、それとも・・・シベリア?
反乱軍の中にいたの?


手配されているのに、あんなに憎々しく思っているのに・・・捕まえなかった・・・なぜ?
遠くから見ただけだから?
撃ち合ったの?
怪我はなかった?


*



吹雪が続く。
あちこちで反乱と弾圧が繰り返されているみたい・・・時折さすがの彼も苛ついて怒鳴り声も出して。


この間は・・・逮捕するって自信満々に言っていたのに、取り逃がしたらしい・・・よかった。
そして、あなたが生きているってわかって嬉しい。




明日はモスクワに行くって。
リュドミールが目を輝かせて話しにきた。
反乱が起きて・・・あのモスクワで・・・シベリアでもないのに。
本当にこの国はどうなってしまうのだろう。


クラウス。
まさか・・・いないわよね?


*     *     *     *     *



(2)



「入れ」


ノックに応えて招き入れた。


「明日、奴に会わせてやる。そう約束したからな」


碧い瞳が見開かれた。


「モスクワで逮捕した。ペトロパブロフスク要塞に移送する途中だ」


どのような表情をしたらよいのか戸惑っている様子だった。
それはそうだろう、手放しでは喜べまい、逮捕されたのだからな。


「私としては、奴が果たしてお前の情熱に報いてくれるか、見ものだな。革命の闘士に恋など何の価値があるものか」


最近は本当に口数が少ない。
当初と違って挑発に乗って来ぬ。
逃げ出そうとしては激しい言葉で向かってきた頃が妙に懐かしい。


「だが、お前に自覚がないようなので言っておく。あいつらにとってお前は私の側に立つ敵だ」
「敵・・・」
「そうだ。中立の立場ですらない。お前は陛下から重大な役目を授かっている」
「私は望んでない」
「そんな言い訳を奴らが取り合うと思うか?  お前は私と同じ、陛下の御下にいる敵なのだ。もし例の件が知れたら、それを使って民衆を扇動し更なる内乱を引き起こすだろう。ドイツだけでなく他に預けている国とも争いになる。あの鍵はそれだけ重要なのだ。薄甘い恋愛感情に浸るのは明日で終わりにしろ、わかったな」


*     *     *     *     *



離れの一室に、今、あの男がいる。
戸惑っているだろうが、これから更に想定外のことが起きるのだ。
彼女を穢した償いをするがよい。


「レオニード・フェリクソヴィッチ・ユスーポフ!」
「己らの無力を思い知ったか?  身の程知らずが。貴族なら貴族らしく皇帝陛下に忠誠を誓うものだ」
「俺はロシアに忠誠を誓っているんだ。説教するためにここに連れて来たのか?」
「冥途の土産に女に会わせてやる。せいぜい別れを惜しむんだな」


中尉に連れられ入ると、奴は金縛りにあったかのように見つめ、彼女は「クラウス!」と叫んで駆け寄って抱き締めた。


「クラウス!  クラウス!」


幾度も幾度も繰り返す彼女を、しかし、その手ではどうもできまい。
奴の名だけをひたすら発する、その一つ一つに様々な、そして直向きな感情が込められているようで、私の心はかき乱された。
こんなふうに呼ばれる奴が憎い。


*     *     *     *     *



(3)



「命知らずにも、その女はお前を追って来たのだ。お前を恋人だと言っているが、本当にそうなのか?」


まったく思いもかけなかった再会に呆然としていた俺だったが、その言葉で我に返った。
黒い瞳と視線が合う。


「恋人なのか?」


なぜ念を押す?
何が言いたい?
何を言わせたい?


死刑判決が出るのは間違いない。
ペトロパブロフスク要塞に収容されて、何日か後には銃殺だ。
残念だが悔いはない。
俺の屍を越えて、いずれ革命は成就されるだろう。


しかしユリウスを巻き込むわけにはいかない。
俺たちの思想とは何も関係ないんだ、このままでは仲間と思われてしまう。
胸に縋り、静かに、だが熱く見上げるエウリディケの耳元で囁いた。


国に帰れ。俺を忘れて幸せになれ


一瞬息をのんだ天使の口から取り返しのつかない言葉が出る前に、奴に言い放った。
ロシア語でならお前を傷つけはしまい。


「ただの・・・ただの亡命先での知り合いだ」
「ほう?」
「俺のバイオリンの音色にまいっちまってな、どこへ行くにも追いかけてきた」
「なるほど。だが恋人だと言っているぞ」
「馬鹿にするな。ドイツ人と付き合うほど、俺は女に不自由してないぜ」
「大した自信だ・・・では・・・同志なのか? ドイツにもお前たちの支部がある」
「やめてくれ、こんな乳臭い子どもが何の役に立つ」
「子ども、か。確かにな。だが、家は結構な金持ちだ。資金援助ならできただろう」
「そりゃあ、金はあって困るものではないが、あの家は、本妻の姉たちが牛耳っていると噂だったからな。こいつにどうこうできるわけがない」
「・・・つまりは、一方的に付きまとっていただけだと?」
「そうだ、そう言っているだろう。相変わらず、頭がどうかしている。さっさと世間知らずのこの娘を親元へ返してやってくれ。まったく迷惑な話だ」


奴は立ち竦んでいるユリウスを、まるで俺から受け取るかのごとく引き離した。


兵士らに連れ出される時、俺の名を呼ぶ声が追いかけて来た。
一言、断末魔の叫びのように。


*     *     *     *     *



(4)



泣き続けている。
ベッドに突っ伏したまま声を殺して泣き、時折、堪えきれずに声を上げて。


昼頃、離れに続く門に馬車が止まったのが見えた。
今朝から周辺は立ち入りを禁じられ、誰が訪れたのかはわからない。
でもあの馬車は・・・護送用だ。


すぐに彼女がシュラトフ中尉に付き添われて行った。
蒼白でとても緊張している様子だった。




しばらくして半狂乱になって、お兄様に強く抱えられながら戻ってきた。
何か叫んでいたけれど、この屋敷でその言葉がわかった者は誰もいないだろう。
もっともほとんどが名前のように聞こえた、クラウス、クラウスと。


押さえつけて薬を打つとようやく少しは静かになったけれど、それでも異常な興奮状態が続いている。


多分恋人の名前だろう、クラウスと言うのは。
ドイツの名前。
彼女が叫んでいたのもドイツ語。
最初にお兄様が口にされた名前も。


*



夜、様子を見にいらした。


「どうだ?  落ち着いたか?」
「ええ、かなり薬を与えましたから」
「そうか・・・。何か話したか?」
「いえ、特には・・・。ただ、クラウス、クラウスと」
「・・・わかった。お前も休め」
「・・・お兄様、お尋ねしてもよろしいですか?」
「何か?」
「彼女はドイツ人ですのね?」
「そうだ。だが人に言うでない、敵国人が屋敷内にいるのは外聞がよくない」
「わかりました・・・それで・・・クラウスとは誰ですか?」
「・・・お前も、知りたがりというわけか」
「今日の彼女の様子、尋常ではありませんわ。誰に会わせたのです?」
「・・・これはな、我が家の浮沈に関わる重要な話だ。興味本位では困るぞ」
「心得ております」
「あいつが故郷で出会い恋仲になった男、逃亡中だった反逆者、アレクセイ・ミハイロヴィッチ・ミハイロフだ」
「えっ!?  まさか・・・」
「無論あいつ自身は思想とは関係ないが」
「では今日会ったのは、彼、ですの?」
「・・・監獄に移送する途中だ。会わせてやると約束していたからな」
「でも、でも、彼は・・・どのような刑に?」
「・・・決まりきったことを聞くな」
「? 最期の別れをさせたのですか?  残酷ですわ!」
「何がだ?  無駄な夢想を止めさせる、それのどこが残酷だ!」
「行方不明とでもしておけば、そのうち諦めて・・・」
「あてもなく単身、密入国してくるような奴が、行方不明くらいで諦めると思うか?」
「そんな!」
「ともかく今の話は絶対に他言無用だ。わかったな!」


あっと言う間に出て行ってしまった。


でも今のは何に対しての、誰に対しての怒りだろうか。


そもそも諦めさせる必要などあるの?
事情はわからないけれど、陛下から保護と言う名目の監禁を命じられたと聞いた。
それなら、諦めようが諦めまいが彼女はここに留まるしかない。


何か・・・変です、お兄様・・・。


*



更に薬を飲ませたので、よく眠っている。
顔色は悪くても、本当に綺麗な金髪ね、相変わらず。


さっきの話、本当なの?
彼に恋をして、ここまで追ってきたと・・・。


なんて激しい恋なの!
羨ましい!
自分の想いを遂げるために、こんな無謀な行動ができるなんて。


私、弱くて駄目だわ。
ずっとここで殻を破れずに、彼と・・・。


*     *     *     *     *



(5)



クラウス、だった。
夢にまで見たクラウス。
一年ぶり・・・随分変わっていた。
髪も伸びてがっしりとして大人っぽくなって。


驚いて私を見たあの瞳。
これは変わっていない、いつどこで会ってもわかる、私を掴まえて離さないあの瞳。


縛のせいで自由にならない彼に代わって、思いっきり抱き締めた。
ちゃんと今もこの腕に感覚が残っている。




驚くのも無理はない。
ドイツにいるはずの私がまさかロシアに、それも敵の屋敷にいるなんて想像もできなかったはず。
それに・・・それにもしかしたら、あのミュンヘンで私のことなど、記憶から切り捨てていたのかも知れないし。


だからあんなふうに言ったの?
ただの知り合い・・・ちょっとした思い出?  迷惑?


そう、冷静に考えてみれば、そう。
あなたは革命家、命をかけて陛下と闘っている。
たまたま身を潜めた先で出会った女なんて。


私にとってはあなたはすべて、人生の。
あなたにとって・・・私は・・・。


でも・・・でも、それでいい。
求めているのは私。
例え得られなくても、求めることができるだけでいい。
そうでなければ、生きていけない。




クラウス・・・。
今、どうしているの?
移送する途中だって言っていた。


ペトロパブロフスク要塞って、あの金色の尖塔の・・・悪名高い。
確か東の端の屋根裏から見える!
上ってみよう、せめて・・・。




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