(1)
ショールを羽織り、そうっと部屋を出て向かおうとした時、アンナに見つかってしまった。
どちらへ?
・・・空が・・・空が見える部屋に
まだお体が
大丈夫
それでしたら、レーナと
*
もうすぐ夕陽に変わる。
今日は珍しく晴れて、悲しいほどよく見える。
あの尖塔・・・本当に美しい。
白っぽい金色が空の青と映えあって。
都を守る要塞の稜堡が政治犯の監獄に・・・聖堂も皇室の墓所もあるのに・・・。
拷問、処刑・・・。
こうして見ているだけで悲鳴が聞こえてきそう。
向かいの冬宮では気にもかけずに、華やかな舞踏会が開かれているのだろう。
クラウスは?
どうなってしまうの?
血塗れの姿が浮かんで・・・頭を振ってそんな想像を追い出そうとしたけれど・・・きっと・・・それが現実。
気配に振り向くと、彼がいた。
*
「具合はよくなったか?」
「・・・ええ」
なぜこの人はこうもあっさりと声をかけられるのだろう。
恋人に会わせて、あっと言う間に引き離して・・・それが楽しいの?
自分の力を思い知らせて楽しいの?
「ペトロパブロフスク要塞を見ていたのか?」
「・・・ええ」
嫌な男・・・何でもお見通しと言うわけ。
「奴はあそこで判決を待っている。勿論、無傷ではあるまい、聞きたい話は山ほどあるからな」
そんなことを言って、私が苦しむのを見たいのね?
本当に意地悪。
「ねえ、怪我をしていた、手を・・・。治療は? 治療はしているわよね?」
「さあ、な。拷問とはそのようなところを責めるもの。看守に情けを期待しても無駄だ」
「そんな! バイオリンが弾けなくなってしまう! 音楽はクラウスの命なのに!」
「呆れたものだ、まずは生命の心配ではないか? ではいっそ、心臓を狙うべきだったな。音楽などに未練を残させず、ひとおもいに」
「え? あ、あなたが? あなたが撃ったの?」
「射撃は得意中の得意だ」
「ひどい!」
「遊びとは違うのだぞ」
「・・・」
「まあ、寿命がほんの僅か延びたに過ぎぬ。処刑は夜明けと共に行われる。銃殺だ」
思わず耳を塞いでしまった。
そうだ、彼が助かるわけがない、ドイツにまで追っ手がかかっていたのだから。
「ここにいれば聞こえるかも知れんな」
ああ!
堪らず座り込む。
すると、塞ぐ手を掴んで囁いた。
「助けたいか? 死刑から」
「・・・え?」
「懲役に減刑するよう嘆願してやってもよい」
「本当に?」
「本当だ。お前が命がけで鍵を守ってきた褒美に」
「お願い! 助けて! クラウスを!」
* * * * *
(2)
彼は約束を守った・・・その証拠を見せてやると・・・得意げに。
民衆の前に引きずり出される革命家たち。
「ねえ、兄様、市民権剥奪ってなあに?」
「人間ではなくなると言うことだ」
ああ、クラウス! クラウス!
ああ、こんなに近くにいるのに!
彼に抱えられて身動きできない。
飛び出して行ったリュドミール、追いかける大尉。
私も向かおうとしたけれど・・・。
叫び続けて意識が朦朧として・・・気づいた時は寝室で。
あれからすぐ移送されたと聞いた。
もしかしたら死刑になる以上に辛いのかも知れない・・・シベリアなんて。
でも、でも、生きて・・・クラウス・・・。
*
しばらく臥せっていたので、リュドミールがお見舞いにきた。
そのリュドミールも元気がない。
「どうしたの? あなたのほうが具合が悪そうよ」
「うん・・・大丈夫だよ」
「怒られたの? レオニードに。それともヴェーラ?」
「ううん、怒られたりしないよ」
「それならどうしたの?」
「あのね・・・あの時、広場で見た人・・・あの・・・背の高い・・・」
「・・・アレクセイ・ミハイロフ?」
「うん、あの人ね、僕を助けてくれたんだ」
「え?」
「この間、列車に隠れて乗ったでしょ? 途中の駅で見つかって。でも抜け出していろいろ見てたんだ。そしたら急に列車が動き出して・・・轢かれそうになって・・・助けてくれたんだ、あの人が抱えて逃げてくれたんだよ」
「・・・そう」
「もうちょっとで一緒に轢かれるとこだった。僕の命の恩人なんだよ。なのに!」
* * * * *
(3)
助命嘆願・・・まさか私がとんだ粋狂を。
軽々にこのような願いを申し出られるわけがない、例え私でも。
皮肉なものだ・・・今回ほど陛下との姻戚関係をありがたく思ったことはない。
芸術を愛する陛下の御恩を裏切り、むしろそれを利用して活動していた奴に最も重い刑を、他の貴族への見せしめに死刑より長く続く苦しみを、と・・・あの監獄に流さねば御允可は得られなかった。
父上には彼女を懐柔するためとようやく許可をいただいたが、随分と懸念されていた。
前のことがある。
結びつけて考える者もいるだろう・・・そう触れ回る者も。
我が侯爵家を危うくしかねぬ・・・が・・・。
まあ、済んだ話だ。
あれこれ考えても始まらぬ。
それよりも今後のことだ。
宮廷行事が一段落したら、そろそろあの屋敷を整えるか。
アデールが気にしている・・・いよいよ爆発しそうだ。
どの口が言うかとは思うが外聞もある。
内装も灯りも調度品も何もかも、天使に相応しいものにしてやろう。
一生を過ごすのだからな、あそこで。
天上に戻ることは許さぬ。
↑画像をクリック