翡翠の歌

03 目的




(1)



腹立たしい。
訳もなく腹立たしい・・・あの日から。

何故この地に来た。
何故私の前に現れた・・・今更・・・。





目的を言わぬ、未だに。
どんなに強く問うても口を噤んでいる。

来週には父上が戻られる。
ご報告したところ、休暇の予定を早められた。

父上は今や軍人ではない、政治家、だ。
だが私以上に容赦がない、目的の為には。

このままでは・・・何も分からぬままでは・・・あの娘は・・・。
先日は単なる脅しだったが、本当に拷問にかけられてしまう。





何か、見落としていることはないか?
ドイツ陸軍省情報部に入り込んでいる手の者からの報告を今一度読み返す。

フォン・ベーリンガー家の生き残りによる復讐。
周辺で相次いだ殺人、事故、自殺、病・・・。
彼女も関わっている、少なくとも一件の殺人に。
少なくとも、だ。

あの時の表情・・・彼岸を見ていた。
そして時折垣間見せた挑戦的な光。
報告書を嘲けっていた、その程度しか調べられないのかと。



どのように過ごしていたのだ、故郷で。
暮らし自体は・・・何不自由なかったはず、バイエルン有数の貴族だ。
アルフレートも病床ゆえに尚更、後継者を大切にしたろう。

普段はまた音楽学校に通っていたか。
聖ゼバスチアン、カトリック教会付属。
幼少の頃からパリ、ロンドン、最後にこの都に留学してきた。

しかし・・・男として生きてきた、ずっと。
アルフレートの思惑は優秀な後継者・・・諜報員を作ることだ、己の思想のために。
男としても女としても振る舞える、そんな都合のよい存在に自分の娘を・・・.
だが・・・あのような華奢な体では・・・無理だろうに。
あの手には銃ではなく鍵盤が相応しい。

ああ、そうだ、今度ピアノを与えてやるか。
音楽室は久しく使われておらぬが、傷が癒えるまでに調律してやろう。
少しは気晴らしになるだろう。
それに・・・私も聴いてみたい。





レーゲンスブルク・・・。
聖ゼバスチアン・・・。

どこかで・・・。
この報告書とは別のところで見た覚えがある。
どこでだったか?
少し、前だ・・・いや、一年ほど前か・・・。

いきなり雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
亡命活動家どもの動向を知らせる報告書の中で、だ。

ドイツ・レーゲンスブルクに潜伏している・・・。
聖ゼバスチアンのバイオリン科の学生として・・・。

あのバイオリン!

まさか、活動家、なのか?  お前!





アレクセイ・ミハイロビッチ・ミハイロフ・・・。

庶子とは言え、同じ侯爵家の生まれ。

小間使いだった母親の元で暮らし、亡くした後、引き取られた。
爵位は兄が継ぐも反逆容疑で逮捕、処刑、侯爵家は断絶。
弟は追っ手を逃れて国を離れた。

ようやくオフラーナはドイツに潜伏しているのを突き止めた。
聖ゼバスチアンと言う音楽学校の学生となって周囲の目を欺き、凝りもせず反政府活動をしていると。
国境付近まで尾行したが撒かれた・・・愚か者どもめ!  たかが若造一人に!



学校で知り合っただけか?
それ以前、この都でではあるまいな?
あの頃・・・そうだ、あの頃だ、ドミートリィ・ミハイロフの企みが露見したのは。
まさか示し合わせて・・・。

思想にかぶれたのか?
そして自分の役目を・・・話したのか?
そんな愚行をしていたとしたら、お前、命はないぞ。
私にも庇いようがない。


*     *     *     *     *



(2)



これで何回目だろう、尋問を受けるのは。
幾度でも同じ、この国に来た目的は言えない、絶対に。

きっとそのうちに拷問にかけられる。
耐えられるだろうか?
黙ったまま、死ねる?

ああ、今のうちに死ぬべき?
・・・でも、でも諦めたくない、クラウス・・・あなたを。


「まだ話す気にならぬか?」
「・・・」
「聖ゼバスチアン・・・よい学校だったか?」
「?」
「友人も多くできたか?」
「・・・」
「例えば・・・クラウス・ゾンマーシュミット・・・」


ああ! わかってしまった!
彼は両肩を強く掴み揺さぶった。


「知って・・・いるな?  偽名だと。奴は反逆者だ、逮捕状が出ている。その名を口にするのを陛下に禁じられるほどの重大な犯罪者だ」
「・・・」
「仲間なのか?  仲間になったのか?  あいつに例の件を話したのか?」
「・・・違う!  話していない!」
「本当か?」
「誰にも、誰にも話していない!  絶対に!」


彼はほっとした様子だった。
こんな言葉だけで信じたかどうかはわからなかったけれど、信じようとしているみたいだった。


「奴の思想に共感したのか?」
「・・・いいえ、思想はわかりません」
「では何だ?  あいつとの繋がりは?  帰国した奴を追って来たのだろう?  どこで待ち合わせている?  連絡方法は?」
「違います!  彼とは、クラウスとは何も関係ありません!  仲間なんかじゃありません! どこにいるかなんて知らない!」
「・・・あのバイオリンは奴の物なのか?」
「・・・」


大きな手が頬を打ち、床に叩きつけられた。
入ってきた知らない男に両手を縛られ猿轡をされ、何か液体を流し込まれた。
繰り返し・・・繰り返し・・・。
次第に周囲がかすみ、頭の中もかすんで、何も考えられなくなってきて・・・。
ああ、彼は手加減などしないだろう・・・。

ごめんなさい、クラウス・・・。

やっぱり死ぬべきだった。
勝手に追ってきたのに、あなたには迷惑なことだったのに。
連れていくって言ってくれただけで満足すべきだったのに。

ごめんなさい。


*     *     *     *     *



(3)



仲間ではない。
例の件も関係ない。
では何だ?
何故奴を追ってここまで来た?
若い娘が命をかけて何故?

思いがけぬ考えが浮かんだ、私としては"思いがけぬ考え"が・・・。
いや、若い娘と言えばそのほうが自然なのかも知れん。

恋、か?
奴に?

静かに問うた、むしろ否定の言葉を願って・・・恋人なのか?  と。
返事はなかった・・・つまりは・・・。

想定外の最悪の目的だ。





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