翡翠の歌

画像の説明一覧へ





モイカ宮殿 : タペストリーの間 (窓)[1枚、2枚、3枚…] [ガルコニエレ]




第2部04話と同じ"控えの間"の窓側です。訪れたのは夏でしたので、とても明るい陽光が入ってきていました。


ガイドブックによると、宮殿のガラスは、triple-glazed windows、つまり3重ガラスとのこと。2重ガラスだと思っていたので、観察し損ねてしまいました。


それまでロシア(ソ連)で見てきた2重ガラスは、現代の日本で用いられる高性能なペアガラスとは異なり、ひとつの窓枠に2枚の板ガラスがはめてあって、間に1pくらいの空間があったと記憶しています。


3重ということは、それが3枚? 贅沢ですよね。もしかしたら、アレクセイ夫婦のアパートは、1枚だったかもしれないのに。


● ● ● ● ●



以下、神父暗殺の舞台となった、"ガルコニエレ"について、《THE  YUSUPOV  PALACE》(原文は英語)からの引用です。


・・・建築家アンドレイ・ベロボロドフは回想録にこう書いている。「居室には不思議なものがたくさんあった。そのほとんどは、公子が妻を連れずに一人でサンクト・ペテルブルクに来た時のために用意された部屋があった。迷路のような小部屋があり、秘密の曲がりくねった階段が地下へ続いていた」。小エントランスホールの左側、建物の最も左に位置する、公子が”ガルコニエレ”と呼んでいた部屋で、ロシア全土を騒がせ、その歴史の悲劇的なランドマークとなる出来事が起こることになった。


1916年12月17日の深夜、グリゴリー・ラスプーチンはこの地下室で暗殺された。シベリアからきたこの文盲の農民は皇室からは友人として愛され、癒し手、神の人として崇められ、帝国から全体は強欲、浪費家、極悪人として嫌われ、国の不幸のすべてを負わされた。今日でもこの常軌を逸した奇妙な人物はロシア史の未解決の謎のままである。この殺人は若きフェリックス・ユスポフ、皇帝の従弟ドミトリー・パヴロヴィチ大公、右翼指導者で君主主義者ウラジーミル・プリシュケヴィチ国会議員らの陰謀だった。その邪悪な夜の状況は、のちに"貴族の陰謀家たち"に悪夢と幻想として語られた。彼らは"憎むべき男"を毒殺しようとした。彼が死ななかったので、彼らは発砲し、死んだように見えたが立ち上がり逃げようとした。彼らはまた銃を撃ち、殴り、踏みつけ、最後には死体をネヴァの氷の穴に落とした・・・