ピエトロ・ペルジーノ作(1491年)。刺さっている矢に、作者のサインがあります。
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掲載当時も、それからしばらくも、校長先生が、"ニーッ"としていたあの"変な"絵が何なのか、誰なのか、その直前の、イザークとクラウスの場面との関係など、私にはわかりませんでした。池田理代子氏はこどもが読者なのに余計な注釈、書きませんでしたよね、全体的に。「こんなの常識でしょ」みたいな。この姿勢がいいですよね。
そのうち、西洋絵画を多く見るようになってから、彼は聖セバスティアヌスという人だと知りましたが、「ああ、学校名の由来の聖人なんだ」という程度でした。キリスト教って、苦しんでいる人の絵が多くてちょっと苦手…で、半世紀近く経って、ようやく、我らがウィキペディアで検索してまとめてみました(正確さは不明です)。
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●キリスト教の聖人・殉教者である
●聖セバスチャンとも表記される
●ローマ帝国ディオクレティアヌス帝とマクシミアヌス帝(共同統治)の親衛隊長 ← 近衛兵という訳もあります。近衛兵なら、体格だけでなく、見目もさぞ麗しいことだったでしょう。
●秘密裏に、周囲に信仰を広め、信者を増やしていることが皇帝にバレて、なぜか草原で、杭に縛り付けられて、ハリネズミの状態になるまで矢で射られた
●なので、美術や文学では、もっぱらそのような姿で描かれるのですが、刺さっている矢は数本。ハリネズミ状態のものもわずかに数点、見つけましたが、芸術ではなく、より宗教色(教会色)が強いものでした。
●しかし、何と、彼はそれでは絶命せず、ひそかに介抱され回復。よせばいいのに、再び皇帝の前で演説をぶったものだから、今度は殴り殺された。この絵画は見当たらない。まあ、絵にならなそう。
●各種守護聖人
・黒死病からの守護聖人・・・由来は諸説あり。ある地方で黒死病がはやった時に彼を祀ったら収まったとか、矢の当たった皮膚の部分が、黒死病の斑点に似ているとか。
・兵士の守護聖人・・・ハリネズミになっても死なないから。
・同性愛の守護聖人???・・・これはキリスト教の教義としてどうでしょうか? 「19世紀末くらいから」とウィキペディアにはありますから、ある界隈の方々限定のあとづけの主張のように思えます。
ただ、矢に射られた状況が人々の心にグッときたらしく、本人がそうだったかどうかはまったく不明なのに、歴史上、最も初期の"ゲイ・アイコン"ではあったらしい。この方の絵や彫像、名前があれば、「察してください」的な。
そして、「特殊な趣味」の持ち主でなくても、当時はなかった、でも実は女性にも大いに需要のある"若い男の裸体"の批判されない題材として芸術界で重宝され、"いい体つきの若い男が、柱にくくり付けられ
て、身動き取れず、矢が刺さって苦悶の(あるいは涼しい)表情を浮かべている"姿が(殴り殺されるほうでなく)、キリスト教信仰エリアに大手を振って広まったらしいです。
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1976年(日本では1994年)公開の映画『セバスチャン』(デレク・ジャーマン作)で、その路線の(もちろん妄想の)、セバスティアヌスの生涯が描かれているらしいです。
また、ヒロインのモデルとされる『ヴェニスに死す』はトーマス・マンの小説は1912年発表で、映画は1971年(日本も)公開。作中では、セバスティアヌス像が、永遠の若さを象徴しているそうで、池田理代子氏は学校の名前や、作品全体の奥底に流れる"セバスティアヌス"が表す意味をここから着想したのかもしれません(『オルフェウスの窓』の週マ掲載は1975年始めから)。
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そんなこととは露知らず、1980年代のはじめ頃、毎日のように、バイト終わりの深夜に、過去の映画をテレビで流しながら、大学の課題をしていました。その中に『ヴェニスに死す』があり、単に映画として「美しい〜」「耽美〜」「でもちょっと気色わる〜」と、ロットリングのインクが乾くのを忘れて見入って、完徹確定しました。
そうそう、ロシア皇室の隠し財産が登場する『追想』もその中のひとつ。ビデオ録画・再生機のない貧乏学生にとって、深夜の映画放送は本当に楽しみでした。作品は選べないけれど、それだけに、古今東西、広範囲のものを、半ば強制的に観ることができました。