ツァールスコエ・セロー(皇帝の村)に建つ宮殿のひとつ。ピョートル大帝の娘、エリザヴェータ女帝の命で建てられ、母エカテリーナ一世に因んで命名され、その後のエカテリーナ二世もお気に入りでした。
江戸時代にアリューシャン列島に漂着した船乗り、大黒屋光太夫が、帰国の許可を得るため、鉄道も車も庇護もない中、わざわざシベリアを横断し、この鏡の間でエカテリーナ二世に謁見、また横断して、ようやく10年後、苦難の末に根室に帰還しました。
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有名な琥珀の間は、元々はプロイセン王がピョートル大帝に贈った琥珀で装飾されていましたが、第二次大戦時にドイツ軍が全部剥がして持ち去り(未だ行方不明)、宮殿そのものも爆撃され粉々にされました。展示されていた復元工事の記録を見ると、ほんとうに粉々、徹底的に粉々、天井も壁もありません。
戦後、写真等の記録をもとに、使えるものは再利用し、不可能なものは新しく作り、半世紀以上かけてほぼ再建しました。ヨーロッパの石文化の国の執念って、すごいですよね。そのロシアが、2024年の今この瞬間も、同じ歴史を持つ国の文化財を粉々にしている、やり切れません。
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エカテリーナ宮殿には何度も行っていて、ソ連時代は、静かな雰囲気に浸りながら、見学できました。自由主義圏からの観光客はほとんどなく、同じ共産圏からも人数も限られ、両政府に許可された“上級人民”であり、おそらくは"個人の観光"ではなく、"公の研修"や"外交イベント"だったので、振る舞いもよかったと思いますが、今世紀に入ってからは、騒がしくて敵いませんでした。宮殿全体に大声が響き渡り、すごい音量と圧。カラオケの部屋にいるようです。ああ、宮殿って、皇帝陛下のお言葉が隅々まで響き渡るように、音響効果考えて作ってあるのだろう、と妙なところで感心してしまいました。
もちろん、欧米の観光客の傍若無人さもすごいですよ、彼らは彼らで、ヨーロッパと認めておらず、自分はヨーロッパの仲間だと思っている田舎者のロシア人(文化)を馬鹿にしていますから。昨今の争いの背景のひとつでもあります。
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そうそう、特に個人旅行中の日本人は、“日本人であること”を示していないと危険でした(示し過ぎても危険!)。
レストランやホテル、施設内では、こちらが日本人と分かれば親切にしてくれました。会釈したりお礼言ったり、何より静かな振る舞いで気づくようです。でも、街の中では、区別つきませんから、勘違いで、鬱憤晴らし+金品目当てに、結果として、日本人が襲われる事件も起きていました。
マリインスキー劇場でも、場違いなTシャツに短パン姿で、撮影したり、大声で(彼らにとっては囁き声なのかも)おしゃべりしたり。同じに見られてはたまらない(何より、私の鑑賞を邪魔しないで!)、でも日本語では反撃されるかもしれないので、ロシア語でまくしたてたら、すごすご止めました。ロシア人って人に注意する時、すごい形相で一方的に喚きますからね、真似しました。
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そして、今や、日本は非友好国になり、ツアーもJAL航路もなくなってしまった今、彼らの天下でしょうか? でも、目当ての欧米ブランド店も撤退して、彼らすらもいるのでしょうか? ビジネスマンは増えていると伝え聞きます。それがまた、憎悪と敵愾心を増幅しているとも。
長い国境を接している故か、幾世紀にも渡って、心底、嫌って、下に見ていた国に、今後は経済的にも科学技術的にも全てすがるしかなくなって、心も物質も豊かに、誇り高く生きて・・・いけるんですか? これから・・・。