素材は不明ですが、花瓶の形をしたものに、孔雀石を薄くスライスし、模様がうまく繋がるように貼りつけたものです。曲面に自然に柄を合わせる技術がすばらしく、近寄って、まじまじと観察しないと、まるで大きな孔雀石から掘り出したかのように見えます、孔雀石がそういった"一枚岩"の鉱物ではないと知っていないと。
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以下、ユスポフ一族の系譜について、《THE YUSUPOV PALACE》からの引用です(原文は英語)。
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・・・小フェリックス・フェリクソヴィチ(1887-1967)は、エルストン・スマロコフ伯爵フェリックスとユスポフ女公爵ジナイダの息子であり、兄ニコライ(1883-1908)の死後、一族の財産の唯一の相続人となった。1909年から1912年までロンドンに住み、オックスフォード大学で学んだ。1914年、ニコライ1世の曾孫娘、アレクサンドル3世の孫娘、ニコライ2世の姪で王家の血を引くイリーナ・アレクサンドロヴナ(1895-1970)と結婚。1915年、2人の間に娘イリーナ・フェリクソヴナが誕生した。1916年、若き公子は皇室の寵臣グリゴリー・ラスプーチンを暗殺する陰謀を組織した。1919年、フェリックス・ユスポフは家族、両親とともに西ヨーロッパに移住した。最初はイギリス、次にフランスに住んだ。1927年、彼はパリで『ラスプーチンの最期』を出版した。1952年と1956年には、『亡命前 1887-1919』(英語版は『Lost Splendor』として知られる)と『亡命後』を出版した。?
フェリックスとイリーナ・ユスポフの娘であるイリーナ・フェリクソヴナ(1915-1983)は、1938年にローマでニコライ・シェレメテフ伯爵と結婚した。1942年、この結婚で生まれた娘がゼニアと名付けられた。1991年、小フェリックス・ユスポフの孫娘であるクセニアは、祖先が祖国を去ってから約70年後、初めて祖先の宮殿に入った。彼女の要望により、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は2000年、クセニア・スフィリス(旧姓ユスポワ=シェレメテワ)にロシア市民権を与えた・・・完