07 与り知らぬ汚点
(1)
ロシアの動向を伝える記事に、皇帝陛下が幽閉された屋敷の地下室で処刑されたらしい、とあった。
白軍がエカテリンブルグに迫ったため、急遽、取られた措置とか。
ご家族は?
皇后陛下は?
皇太子殿下は?
敵対勢力を牽制するためか、革命政府は否定しているけれど、おそらくは皆殺しに。
鍵を渡すべき人たちが消えてなくなった・・・。
彼らが生きている限り、奪還して革命政府に刃向かおうとする貴族や軍人、それを利用してロシアの国力を弱めようという諸国の動きが収まらない。
裁判にかけられることもなく革命政府の密かな決定で実行された処刑・・・惨殺。
各国が非難しているけれど、でもそれは、ずっと・・・何世紀も・・・無数の活動家や民衆に対して彼らの行なってきた行為、今度はそれが自分たちに降りかかっただけ。
「どうして・・・誰も・・・亡命を・・・側近たちは何をしていたの・・・」
「マフカ・・・」
「ねえ、どうして。ロシア帝国の皇帝陛下がどうして・・・」
「お兄様がおっしゃっていたわ。親戚筋の王室のどこもが受け入れを断ったって」
「どうして?」
「革命の影響が自分の国に及ぶのを恐れたからでしょうね」
「イギリスも? イギリスがなぜ? 皇太后様がいらっしゃるのに!」
「・・・そうね・・・それでも・・・どうにもならなかったのよ。皇帝陛下とほかの皇族の方では・・・まるでお立場が違うから」
「・・・」
「さあ、落ち着いて。エヴァが不安そうにしているわよ」
* * * * *
(2)
ようやく・・・ようやく戦争が終わった。
同時に我が国にも革命が起き、皇帝陛下は退位された。
そして、ここバイエルンはそのうねりの中心となって、明日もわからない。
ダーヴィトとモーリッツのおかげで、どうにか我が家も成り立っているけれど、この先、どうなるのだろう。
一面、畑になった庭を眺めていると、堪らなく不安が襲ってくる。
そんなある日、一通の手紙が届いた。
ついに・・・この日が来たのだ。
ユリウスは無事亡命し、マリアを求めているのだ。
*
本当に久しぶりだった。
人知れずレーゲンスブルクを出て十数年。
すっかり大人になって・・・。
それはそうね・・・マリアを産んで、そして侯爵の忘れ形見、エヴァも産んで。
動乱のロシアを生き抜いてきた。
それは二人の男性に愛されていても容易ではなかっただろう。
* * * * *
「ここに、レーゲンスブルクに帰ってくればいいでしょう? 」
「それは・・・できない、お姉様。ここには帰れない」
「ええ、ええ、わかっていたのよ、あの子はあなたから預かっているだけって。でもね、いざ、こうなると・・・」
「お姉様。ごめんなさい、本当に・・・。でも、私・・・」
「どうして? 故国なのに」
「それは・・・」
これから話すことをお姉様は受け入れられるだろうか。
疑ったことなどない人生が穢される。
汚れ切った私ですら未だに耐えられないものを。
「ねえ、ダービィト。あなたを信用するわ、お姉様がされているように。これからお話しすることは決して口外しないで。皆の安全、命のために」
「わかった」
「・・・そう遠くないうちにお姉様もドイツにいられなくなる。だから私たちと一緒にアメリカに行きましょう」
「何ですって? どうして私が? なぜ?」
「・・・お父様が・・・ロシアのスパイだったから」
「えっ? 何を言っているの? お父様は帝国陸軍の・・・」
「それでも・・・スパイだったの。ヴィルクリヒ先生の一家を皆殺しにしたのは、それを通報されそうになったから、先手を打って濡れ衣を着せて。それに、ね、一度は捨てた妾の子の私を引き取ったのは、その跡を継がせるため、男のふりをさせて、言葉や技術を学ばせる一方で、それを隠れ蓑に部下に諜報活動をやらせていたの」
「そんな・・・」
そして意を決して本題に入る。
「あの鍵、あれは・・・ロシア皇帝から預かった財産・・・亡命のための・・・その銀行の鍵。でも、今、お姉様がお持ちなのは偽物で、本物は私が持っているけれど」
「亡命のためですって?」
「ニコライ二世が私をユスーポフ侯爵に監禁させたのは、この秘密が公になるのを恐れたから。陛下は・・・殺されてしまったけれど、今はまだ秘密が保たれている。でも、隠し財産はイギリスにもフランスにもある。そのうち明るみに出るのは間違いない。そうすればアーレンスマイヤ家の裏切りも世間にわかってしまう。そうなってからでは遅いの」
*
「そんな・・・お父様が・・・ロシアのスパイだったなんて・・・」
「お姉様・・・。ごめんなさい。こんなこと、できれば伏せておきたかった。でも、これからきっと、いろんなことが起きる。その時、覚悟がなければ、それは・・・死を・・・意味する。だからあの頃・・・アーレンスマイヤ家でのこと、全部、お話しします。それでお姉様が私を嫌いになっても・・・仕方がないと・・・思っています」
「何を? なぜあなたを嫌いになるの?」
「私ね・・・ヤーン先生と・・・アネロッテ姉様を・・・殺したの」
「!?」
「止むを得ず・・・鍵を守る役目を果たす為に」
「でも・・・ヤーン先生もアネロッテも行方知れずで」
「それは・・・仲間が・・・お父様の部下が始末してくれたの。死体も記録も・・・あの、伯爵よ」
「え? 彼が・・・」
「ヤーン先生はね、フランスのスパイだったの。お父様は知った上で逆に偽情報を流すことで利用していたのだけれど、隠し財産の情報に近づき過ぎたので私にやらせたの。一芝居打って」
「一芝居?」
「あれは初めての人殺しだった。私ね、留学の間に武器や毒の使い方は十分身につけた、身につけさせられた。いずれ使うためにね。そしてお父様は私が自分の意志で殺すよう仕向けたの。そのほうが強くなれるって」
「なんてこと・・・」
「ヤーン先生は前からお母様を狙っていたの、自分のものにしようとね。それで、冬の休暇の夜、お母様を襲わせるようにさせたの。お母様も・・・承知の上で」
「何ですって? あのお母様が? あなたに人殺しをさせるために協力したというの?」
「お母様は・・・脅されていたの、さもなければ、私を・・・自分と同じ目に遭わせると・・・」
「自分と同じ目?」
「お父様は・・・お母様を・・・いろんな・・・男に・・・与えていたの・・・」
「!?」
「人身御供、ね、懐柔したい人物や功績のあった部下に、夏の別荘で・・・本当は、お母様とは再婚していなかったのですって。ただ都合のよい妾をそばに置いていただけなの」
「ああ・・・何てことなの! お父様! もう、いいわ、ユリウス! もう言わなくて!」
「いいえ、聞いてほしいの、どんなに汚い世界かって。そこを生き抜いていかないとならないから・・・お姉様も」
「・・・わかったわ・・・続けて・・・」
「あのミサの夜、お母様の隣の部屋で気づいた私がナイフで延髄を一突きに・・・」
「・・・ユリウス・・・」
「動揺した私が逃げ出した間に死体を始末した。お母様は裏庭に埋めたって言っていたけれど、伯爵が運び出したの。地下室の隠し戸から向かいの家に通じているから」
「ユリウス・・・何て言っていいか・・・」
「いいの、お姉様。ただ聞いてほしいの、もう昔のことだから、私は辛くないの、今はね・・・。ダービィト、ごめんなさい、幻滅させてしまって。私、人殺しなのに、休暇が明けたら普通の顔をして学校に戻ったの」
「ユリウス・・・」
*
「それから・・・アネロッテ姉様のこと・・・。ヴィルクリヒ先生と校長先生、それにヤーコプの復讐で隠されてしまったけれど・・・本当は・・・アネロッテ姉様のやったことのほうが多かったの」
「何ですって? アネロッテが何を?」
「お姉様・・・あの夜、私がアーレンスマイヤ家を出た夜、あんまり屋敷が静かなので気になって一度戻った。そうしたら使用人たちがみんな眠りこけていて・・・。飲み物に睡眠薬が入っていた、アネロッテ姉様が入れたの」
「え? だって、あの夜は・・・アネロッテも私も毒に倒れて・・・」
「アネロッテ姉様が立てた計画なの。疑いが自分にかからないように、そして私にかかるように。日頃から毒に体を慣らしていた。同じ量をとっても影響が少ないようにしていたの、ずっと前から」
「なぜ? なぜ、アネロッテがそんな恐ろしいことを?」
「ロシア皇室の隠し財産・・・それを手に入れるために・・・巨額の、一国が買えるほどの財産を」
「ああ! もう・・・」
「・・・ごめんなさい、お姉様・・・本当に・・・私・・・でも・・・」
「大丈夫よ、ユリウス、私こそ、ごめんなさい、何も・・・知らなかった・・・。話して・・・大丈夫だから」
「アネロッテ姉様は・・・お父様の子どもではないの・・・マリア・バルバラ姉様のお母様が・・・部下と密通して生まれた子どもなの」
「何、ですって?」
「それに気づいたお父様が途中から鍵の相続人から外して、私を呼び寄せた・・・。いつだったか突然屋敷にきたヨアヒムっていう男がいたでしょう? アネロッテ姉様が恋人って言っていた。あの男はアネロッテ姉様の腹違いの兄。二人で隠し財産を手に入れようとしていたの」
「・・・あの男・・・でも、殺されて・・・」
「・・・校長先生が殺したの。アネロッテ姉様とヨアヒムの父親は、お父様と一緒にヴィルクリヒ先生一家を皆殺しにした部下だったから。でもね・・・最後の夜に告白されたの。本当は校長先生は重傷を負わせただけで、とどめを刺したのは後から訪れたアネロッテ姉様だった」
「・・・兄だったのでしょう?」
「そう・・・でもアネロッテ姉様にとっては利用価値がなくなったら不要なのよ」
「私も・・・そうだったのね」
「お姉様・・・ヴィルクリヒ先生が殺したのは私のお母様。窓から突き落として、その拍子に窓が崩れて自分も巻き添えになって」
「・・・心中では・・・なかったの?」
「ヴィルクリヒ先生はね、その前に私も同じように落とそうとした」
「ああ!」
「そして・・・他は・・・みんな・・・アネロッテ姉様の仕業・・・」
「みんなって?」
「最初に・・・お二人のお母様」
「・・・病死って・・・それにあの頃はまだアネロッテは子ども・・・」
「自分は血が繋がらないって、お父様に知られないうちに始末したって・・・毒で。私同様、アネロッテ姉様も一時期は教育を受けていたのよ、密かに。だから毒も入手できたし、使い方も・・・知っているの、病死に見せかける方法は」
「・・・」
「次は・・・お父様、同じようにしてね。いよいよ、アーレンスマイヤ家を追い出そうとしていたから。それから・・・ゲルトルート・・・」
「? ゲルトルート! あの子をなぜ?」
「私が・・・女だって気づいたから・・・私を守っておかなければ、鍵も得られないでしょう?」
「酷いことを・・・惨いことを・・・」
「・・・お姉様・・・。でもね、私、アネロッテ姉様のこと、責められない。私も・・・ゲルトルートを・・・殺そうとした・・・から。自分を守るために・・・鍵を守るために・・・」
「ユリウス?」
「あのね、お姉様・・・教育って恐ろしいもの。幼い時から刷り込まれたことは理性では制御できないの。皇帝陛下のために鍵を守る・・・このことが私の人生を支配しているの、今も・・・ね。でも・・・それでも・・・殺せなかった、あんないい子を・・・私を慕ってくれたゲルトルートを。てっきり全部話しにお姉様のところへ行ったのかと思ったの。それでも・・・いいって・・・終わりになってもいいって・・・もう・・・疲れていて。でも、彼女は何も話さずそのまま出て行く気だった、荷物をまとめて・・・。なのに・・・アネロッテ姉様は・・・」
「・・・」
「それから・・・私のお母様を図書室に閉じ込めて火事で殺そうとしたのも、そして、薬に毒を混ぜてお姉様を病気に見せかけて殺そうとしたのも・・・ヤーコプではなくて・・・アネロッテ姉様」
「・・・」
「最後に・・・一緒にとった食事で二人が倒れれば、残った私に疑いがかかるでしょう? 私は逃げ場がなくなって、協力せざるを得なくなるって計画した。私が戻って来た時・・・アネロッテ姉様はお姉様を殺そうとしていた・・・私が止めに入って・・・」
「アネロッテ・・・そこまでして・・・」
「そして全て・・・話したの・・・そして・・・仲間になれって、財産を山分けしようって。でも・・・私・・・お茶が飲みたいって淹れさせて・・・自分のカップに毒を入れた、アネロッテ姉様のとは違う毒を、体が慣れていない毒を。そして・・・交換するようにし向けた、警戒しているように思わせて・・・。苦しんで・・・血を吐いて・・・死んだ・・・助けを乞いながら。私・・・じっと見ていた、悪魔が死ぬのを」
「ユリウス・・・」
「私はそのままロシアへ向かったのだけれど、察した伯爵が死体や痕跡を消したの。だから・・・行方不明ということに・・・」
「ユリウス・・・ユリウス・・・!」
「・・・いいの・・・やめて、お姉様・・・離して! 離れて!」
「何を言っているの! あなたは! あなたは! 私の妹よ! かわいい妹! 可哀想な妹! どうして、どうして、こんな目に遭わされて・・・!」
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