06 二人の夫
(1)
カーテンを閉めた薄暗い中、横になっているはずの彼女の姿が見当たらない。
難産だった。
経産婦なのに時間が掛かり出血も多く、母子共に危なかった。
どれだけ神様とお兄様に祈っただろう。
どうにか落ち着いて、でもずっと虚ろな状態だった。
子どもは・・・彼女にそっくりな、そしてあの子にそっくりな女の子は乳母をつけているけれど、少しでもそばにいたほうが回復にも良いだろうと、少し前から傍らの揺り籠に寝かしておいた。
その時、背後で冷たい金属の音がした。
振り向くと、椅子に座っていた。
手には銃が・・・それは私に向けられていた。
それで全てわかった。
記憶が戻ったのだ。
ついにこの時が来てしまった。
お兄様!
「あの子をどこへやったの?」
「マフカ・・・」
「あの子に何をしたの?」
「説明するわ、だから・・・」
「動かないで! 躊躇なんてしない! 外さないわよ!」
「お願い、全部話すから銃を下ろして」
*
私も腰掛け、話し始めた。
「仕方なかったの。あの時あの子をロシアに置いておくことはできなかった、だから・・・」
「だから?」
「マリア・バルバラさんに預けたの」
「? お姉様に?」
「そう・・・私がコペンハーゲンに行って、そこにマリア・バルバラさんに来てもらって事情をお話しして。最初は驚いていらしたけれど、あなたの娘を大切に育てるって」
「今は? そのあとはどうなったの?」
「それは・・・わからないの。連絡は、やり取りはしないでってお願いしたから」
「どうして? じゃあ、今生きているかもわからないの?」
「ドイツ貴族との繋がりが知られたら危険だからよ、わかってちょうだい、放っておいたわけじゃないわ」
「・・・」
「大丈夫よ、あの方、あの方たちなら、きっと大事に育ててくださっているわ」
「あの方たち?」
「ええ、マリア・バルバラさんと、一緒に来られたラッセンさん。ご友人と紹介されたわ」
「・・・」
「それに、財産も・・・少なくない財産もお兄様は贈られたから、不自由はしてないはずよ」
「お金の問題じゃない!」
「・・・そうね・・・そうよね・・・ごめんなさい」
「・・・名前は? 名前は何てつけたの? 誰が?」
「・・・知らないの。お二人につけてほしいってお願いしたから。私たちには・・・つけられないものね、あなたの、あなたたちの赤ちゃんだから」
「・・・」
深い溜め息が聞こえた。
私は予想できる次の質問を待った。
「アレクセイは?」
「彼はあの時は逮捕されなかった。しばらくしてまたボリシェヴィキで活動し始めたようだったわ。今どうしているかはわからないけれど・・・」
彼女は立ち上がり、窓へ近づき外を眺めた・・・でもきっと涙で何も見えてはいないだろう。
「ごめんなさい、本当に。ずっと欺いていた。あの時、私も・・・お兄様も・・・できることを精一杯したつもりよ。でも、あなたには許せないわね・・・」
「・・・一人にして」
「マフカ・・・」
「一人に・・・」
*
彼女は赤ん坊を殺し、自分も死ぬつもりだろうか。
最悪のことを考えた。
お兄様! 力をください、二人を守る力を・・・。
* * * * *
(2)
許さない!
許さない!
・・・許せない・・・レオニード!
私を騙していた!
記憶を失ったのをいいことに!
アレクセイから引き離して!
赤ちゃんを取り上げて!
私を妻にして!
自分の子どもまで産ませた!
ああ!
レオニード!
許さない!
赤ちゃん!
アレクセイ!
今どこに!?
*
涙が枯れた頃、か細い声で泣き出した・・・いいえ、ずっと泣いていたのかもしれない・・・私が気がつかなかっただけ?
お腹が空いたのね・・・ほら、おっぱいよ・・・。
ああ、あの子にもあげていた!
一所懸命飲んでいた、覚えている、この感覚・・・。
どうして・・・こんな、惨いこと・・・。
あなたのお父様は私を騙して、そしてあなたを産ませた。
私はアレクセイのものだったのに・・・初めから・・・今もずっと・・・。
アレクセイ・・・生きているの? 動乱のロシアで・・・。
赤ちゃん・・・生きているの? レーゲンスブルクで・・・お母様はあなたの名前も知らないのよ・・・。
* * * * *
何を・・・許せないのだろう・・・私・・・。
レオニードは・・・愛してくれた・・・。
愛して・・・最初こそ、受け入れられる形ではなかったけれど・・・。
もしも・・・もし、あの一斉摘発の時、アパートから助け出してくれなければ、私も赤ちゃんも死んでいた。
それでも私はよかった・・・あの時はそう思った、それしかないと思っていた。
でも・・・生き延びる道をあなたは見つけてくれた、例え別れ別れであっても。
アレクセイの赤ちゃんを無事に産ませてくれた、生かしてくれた。
そしてマリア・バルバラお姉様に預けて・・・。
愛人のままでもよかったのに妻にしたのは・・・ユリア・ミハイロヴァを消して、追及を躱すため、ね。
でももしうまくいかなければ、あなたも侯爵家も反逆者を庇った罪に問われるところだった・・・宮廷中があなたを陥れようとしていたあの頃に、それでも・・・。
本当に穏やかで幸せな日々だった、あの四年・・・。
そして・・・早いうちに亡命させてくれた・・・。
リュドミールが言っていたのはこのことだったのね。
信じてほしいと・・・私のためにしたことがどんなことであってもって。
レオニード・・・あなた・・・あの時・・・許していると言ってくれと・・・惨いことをした自分を・・・そして、ありがとうって・・・。
ああ、それに! ロシアに密入国したあの日! もし私を見つけてくれなかったら!
その二年も前から、あなたは!
* * * * *
ヴェーラ・・・あなた、ずっとここで・・・。
ありがとう、ヴェーラ・・・ごめんなさい、酷いこと、私、あなたにしてしまった・・・。
あなたが、あなたとレオニードが赤ちゃんを助けてくれたのに・・・約束通り・・・。
ごめんなさい・・・ありがとう・・・。
さあ、抱いてあげて頂戴! エヴァ・レオニードヴナ・ユスーポワよ、あなたの姪よ!
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