翡翠の歌

★最終部 表紙 画像の説明


モイカ宮殿 : 大きなサロン (テーブルのモザイク)[モイカ宮殿の美術品の行方]



テーブルの天面の、数ミリ角の色のついた石をはめ込んだモザイク画です。帝政ロシア時の名産品です。


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ユスポフ家の美術品について、《THE YUSUPOV PALACE》からの引用です(原文は英語)

・・・1900年5月に作成された遺言書には、『ジナイダ・ニコラエヴナとフェリックス・フェリクソヴィッチは、自分たちの名前と、当時未成年だった子どもたちの名前で、私たち一家が突然亡くなった場合、私たちのすべての動産と不動産、特に美術品、希少品、宝石のコレクションを、ロシア帝国に残すことを条件に、国家に遺贈する』と記載しました。リストの最初に挙げられたのは、モイカ宮殿のコレクションと、"芸術的価値の高い傑作"である宮殿そのものでした・・・


亡命時、隠し部屋の膨大な美術品や宝飾品は革命政府に発見されてしまいましたが、革命勃発時に即、宮殿が革命政府管理下になった("あの"執事が働きかけた)で、民衆などからの強奪は防げました。しかし、そのあと、革命政府の各所が自分のところのインテリアに、と持ち出して、行方不明になったものも少なからずあります。その"各所"には、エルミタージュ美術館も含まれます。