20 旅立ちへ
(1)
「ねえ、ヴェーラ・・・お話があるの」
エヴァも使用人も寝静まったある夏の夜、私の最後の計画の・・・仕上げが始まった。
「あのね・・・この間、懐かしい人に会ったの」
「? どなたに?」
「・・・アレクセイ」
「え? アレクセイ? アレクセイ・ミハイロフ? どう、どういうこと?」
「亡命してきたのですって・・・ソビエトに馴染めなくて」
「生きているのね? 生きていたのね? それで、それであなたに会いに来たっていうの?」
「ええ、隣町で会った」
「 !? あなた、あなた、正気なの? 亡命なんて、今のあの国から簡単にできることではないのよ? それに彼は・・・生粋の革命家じゃないの! 嘘に、嘘に決まっているわ!」
「・・・アレクセイは・・・私の夫よ。疑うなんて・・・」
「疑う? 事実でしょう? ねえ、もう二十年も経つのよ? あれから・・・激動を生き抜いてきた彼が、昔通りだと思っているの?」
「彼は・・・変わらない、昔のまま。私を愛している」
「あなた、どうしたの? あんなに慎重に行動してきたあなたが、こんな・・・いくらアレクセイでも・・・信用してはいけないわ!」
「アレクセイは・・・私の夫、マリアの父親よ。悪く言わないで。やっと・・・やっと、巡り会えたのだから。もちろん、今更一緒に暮らそうなんて思っていないわ、私にはエヴァがいるもの。でも・・・エヴァやあなたにとっては、敵ね」
「あなたにとってもでしょう? あなたにとっても彼は敵よ!」
「違うわ! 私には敵なんかじゃない。私は彼の妻なの」
「・・・責めているんじゃないのよ。突然の話で驚いたの。でも、彼は・・・ここを・・・私たちのことを知っているのでしょう?」
「ええ・・・エヴァの・・・ことも、知っていたわ、レオニードの子どもだって」
「なんて・・・ああ、なんてこと。危険だわ、ここにいては・・・離れないと、早く、遠くへ!」
「大丈夫よ、落ち着いて、ヴェーラ。彼は・・・レオニードとあなたに本当に感謝している。マリアと私を守ってくれたって。だから・・・逃げる必要なんてない」
「そんな・・・革命家にそんなこと、通じないわ。あなたが一番わかっているはずでしょう?」
「・・・それでね、この間、一緒にマリアに会いに行った」
「!? あなた、そんなこと・・・本当に・・・どうしちゃったの? 自分の娘を危険に晒して!」
「ますます綺麗になっていた、緊張で表情はこわばっていたけれど。アレクセイは私そっくりだって。二十ですって。私が彼と結婚した年よ。あんなに頼りない感じだったかしら」
「・・・」
「そう、お姉様もダーヴィトも元気だった。不思議よね、ダーヴィトが私の娘の父親だなんて。アレクセイも驚いていた。私のファーストキスはね、彼となの。学校の寮の裏庭でね、休暇から戻ってこないアレクセイを心配して私が泣き出したものだから・・・」
「もうやめて! やめて頂戴! あなた、自分のしていることがわかっているの? 娘たちを、エヴァとマリアを危険な目に遭わせようとしているのよ! 命の危険なのよ!」
「ヴェーラ・・・大丈夫よ、大丈夫・・・ねえ、聞いて・・・彼は・・・彼はね・・・レオニードとあなたに深く感謝している、心からありがとうって・・・覚えておいて。心からありがとうって。だから、大丈夫」
これ以上何を言っても無駄と思ったのか、出て行ってしまった。
ごめんなさい、心を乱してしまって。
黙って行こうかとも思ったのだけれど・・・アレクセイからの感謝の言葉を伝えたかった、私から。
* * * * *
(2)
このキャビネット・・・。
大きな、大きなキャビネット・・・。
全てに・・・宝飾品が入っている。
早い時期に亡命したから、多くを持ち出せた。
でも・・・ごめんなさいね、ポーラー・スター・ダイヤモンドは手放してしまったわね。
だって・・・私には荷が重すぎる、あんな・・・いろいろと噂のある・・・。
エヴァにも・・・そうでしょう?
*
綺麗・・・本当に・・・。
これは、ルビー。
あなたが国境の見回りに行っていた間に届けられた、新聞や雑誌と一緒に。
あの頃は・・・最悪だった・・・。
でもそれも・・・嫉妬がさせたこと・・・そう思えば、許せる、もうとっくの昔に許している、レオニード。
あのターコイズブルーのドレスによく似合った、一度きりの舞踏会で身につけた・・・最後の夜にも・・・。
これは、十九の誕生日に贈られた真珠を散りばめた金鎖のレース。
金糸のように柔らかく輝いている・・・私の髪と一緒だからって言っていた。
その後、妊娠に気づいて、そして・・・流産して・・・。
ああ、これは、ダイヤとサファイヤで鈴蘭をかたどった首飾りと冠。
二十二の誕生日に用意してくれていた。
私はそこにいなかったのに、アレクセイと暮らしていたのに。
そう、この"タタールの星"・・・おばあさまの形見。
あれがあなた流のプロポーズだったのね。
妾になれって、あらん限りの侮蔑の言葉を浴びせて。
妻にって言いたかったのね、本心は。
妾なんて、後にも先にもいなかったくせに・・・嘘つき・・・天邪鬼。
それにしても、まったく・・・あのトパーズの・・・ミモザの首飾り。
あの時取り上げて、捨ててしまったのね。
きっと見つけたのよ、あの手紙を。
*
春も盛りを過ぎた頃のある日、平服で訪れたあなたは長椅子に導き、肩を抱いて引き寄せながら、小箱を手渡してきた。
また心にもない感謝の言葉を言わなくてはならないのかと正直うんざりして、一瞬間が空いてしまった。
そして・・・促されて仕方なく開けてみた。
・・・あの・・・花だった。
精巧な細工の首飾り・・・黄金色に輝いていた。
驚いて見上げた私に、また季節が来るまでこれで我慢しろって。
あんまり嬉しくてすぐには言葉が出なかったけれど、ありがとうってやっと言えた・・・本当に、本当にありがとうって。
でも一方では・・・怖かった。
もし・・・嘘が・・・あの嘘がわかってしまったらって・・・。
しばらくして小箱を取り上げテーブルに置き、口づけしてきた、はじめは穏やかに、すぐに激しく・・・いつものように。
お願い・・・寝室で・・・
この花のそばで抱かれるなんて、考えられなかったから。
*
本当に・・・綺麗ね・・・。
でも・・・それは・・・あなたとの思い出があるから・・・綺麗なのよ、レオニード・・・。
私のこと、笑っていた・・・こういったものに、あまり興味がないから。
私が・・・美しいと思うのは・・・心・・・よ。
ここにあるたくさんの宝石たちは・・・宝石たちには・・・あなたの心が染み込んでいるから・・・だから・・・本当に綺麗。
全部の謂れを書き残しておいた・・・多少は曖昧にして・・・嘘をつくのは下手だから。
それでも、あなたの想いがあの子にも伝わるように、ね。
*
そして、あの・・・片方だけの耳飾り・・・きっと、最期まであなたのそばにいたの・・・ね、私の代わりに・・・肖像画と一緒に・・・。
あなた・・・一人で逝かせてしまった・・・。
エヴァを抱くこともなく・・・たくさんの作り話を残して。
もう少し・・・待っていて。
でも、喧嘩したら嫌よ。
アレクセイはエヴァのために逝ってくれるのだから。
*
ゲオルグス・ターラーは・・・全てが終わってからお姉様にお渡しするよう、マーサに頼んでおいた。
そう・・・お母様が今迄ずっと守ってくれた。
何度も死地を脱してこられたのは、あれのお陰。
だから・・・もし・・・私を赦してくれるのなら・・・たまには・・・身につけて・・・マリア。
*
アレクセイの墓所は・・・ここからそう遠くない。
ミモザも植えた、二人で。
彼が人生を賭けた闘い。
お兄様を失い、大勢の仲間を失い、音楽を捨てて邁進した闘い・・・虐げられた人民を解放するために。
そして、レオニードも、貴族として軍人として生き、皇帝陛下に殉じた・・・私とエヴァとの人生を選ばなかった。
もう歴史の針を戻すことはできないってわかっていても・・・やるべきことを・・・やって、一人で逝ってしまった、きっと祖国の行く末を案じながら。
アレクセイとレオニードの・・・もう私の祖国でもある、その祖国が・・・今のようになるために、私たちは人生を捧げたの?
いいえ、違う、決して違う、違うはず!
この闘いは・・・二人っきりの闘いは、私たちの家族を守るためだけではない。
きっと祖国の幸せにも繋がる。
間違った方向へ進んでいる祖国のための・・・捨て石になる。
最後のカードがスペードの女王でないことを祈ろう。
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