翡翠の歌

23 伝説の終わり




おそらくは連邦政府からの指示があって、形だけの調査で済まされ、遺体の検案も行われなかった。


自殺者の埋葬は教会では許されない、どんな理由があろうとも。
私たちが支援してきたロシア正教会でも。


世間の好奇の目を避けて密かに引き取り、敷地内に設けた墓所に埋葬した。
彼女が好きだったミモザの木の下に。
この屋敷を手に入れてしばらくして植えた・・・また来年の春には黄金の花を咲かせるわ、あなたの髪と同じ色、同じ輝きの・・・。





彼の遺体がどうなったのかはわからない。
本名や経歴、勿論二人の過去が明かされることもなかった。
下劣な男としてだけ皆に記憶され唾棄された。


彼女の体にはどこにも、傷・・・新しい傷は・・・なかった。
表情も穏やかで微笑んですら見える。
凌辱などされたわけがない。


でも・・・古い傷・・・で覆われていた。
可哀想に・・・ずっと・・・襟の高い長袖のドレスしか着なかった、着られなかった。
あんなに白く滑らかで綺麗な肌をしていたのに・・・。





何故?  何があったの?  これっきりにしてって私が頼んだから?


母親の死とその死に方に衝撃を受け、エヴァはずっと閉じ籠っている。
私もかける言葉が見つからない。


そんな時、マーサから手紙を渡された。


愛するヴェーラへ


細い流麗な文字が目に痛い。


*     *     *     *     *



これをあなたが読む時は、私はもうこの世にいないでしょう


こうなることは半年前、アレクセイが現れた時からわかっていました。ソビエト政府の意向なしに彼がここに来ることなどありえないからです。ついに誰かの命でしか止まらない歯車が回り始めたのです


彼をアメリカ政府に引き渡しても、また新たな危険がやってくるでしょう。何故なら彼は、できなければエヴァの命を奪うと脅されて、処刑のために私をソビエトに連れ帰る任務を引き受けてきたのです。党の幹部は、エヴァは拉致はできないが事故を装って殺すことはできる、とも言ったそうです


この計画は二人で立てました


ソビエト政府のスパイが元侯爵夫人を本国に送還するために拉致し、あまつさえ凌辱した。反撃されて殺され、夫人も恥じて自害した。それが一般人に発見され、どちらの政府にも隠しようがなくアメリカ全土へセンセーショナルに伝わり、各地で反共産主義の声が上がる


彼はこの汚れ役を引き受けてくれました


これで暫くはソビエト政府もあなたたちに手を出せないでしょう。共産主義の広がりを抑えたいアメリカ政府も保護してくれるはずです。最近の世界情勢を考えると、遠からず再び大戦が起きるでしょう。そうすれば更に時間を稼げます。時代が移りソビエト政府があなたたちを諦めるまでどれくらいかかるのかわかりませんが、今の私にできうる精一杯のことをします


愛するヴェーラ


これからの苦難をあなた一人に負わせてしまってごめんなさい。でも弱い私は甘えて先にいきます。レオニードと彼が喧嘩しないようにしていないといけないから。荒唐無稽な言い訳に過ぎないけれど


エヴァをずっと見ていたかった
私たちの宝
私たちが生きた証
どうかあなたが、私とレオニードの分も見守ってください
そしてあなたも・・・あなたの人生を歩んでください


そう、この手紙はすぐに燃やしてください。エヴァには真相を教えないで。まして彼があのアリョーシャだとはわからないように


ソビエトが母を殺した


このことをずっと胸に刻んで、警戒を怠らないようにさせて


愛しいヴェーラ


これまでの長い年月に与えてくださったあなたの慈愛に深く感謝します


ありがとう


さようなら


*     *     *     *     *



文字が・・・所々、滲んでいる・・・。
いつ?  いつ書いたの?
気がつかなかった、あなたの覚悟、あなたの計画。
ずっと、この半年間、このために動いていたのね?
いつもと・・・変わらなかった、あなた。





最期にあの二人はどんな気持ちで愛を確かめあったのだろう。
伝説の窓で出会って四半世紀。
国と時代に翻弄されながらも、それぞれに道を見定め懸命に生きてきた二人。
それなのに、尽くしたものには裏切られ、夫に非道の汚名を着せて殺し、後を追った。


あの時・・・彼の言葉を、彼の心を私に伝えたかったのね。


ヴェーラ・・・大丈夫よ、大丈夫・・・ねえ、聞いて・・・彼は・・・彼はね・・・レオニードとあなたに深く感謝しているわ、心からありがとうって・・・覚えておいてね。心からありがとうって。だから、大丈夫よ


でも、あなたの願いの一つは叶えられないわ。
手紙は燃やさない。
そう、銀行の貸金庫に預けましょう。
ちゃんと鍵を掛けて。
エヴァが大人になった時、渡します。
そして、あなたの人生、そしてお兄様やアレクセイ・ミハイロフのことを話すわ。
どんなに素晴らしい人たちだったのか、あの子にも知る権利があるでしょう?
自分を生み出し守ってくれた強く暖かい人たちのことを。




<終わり>




↑画像をクリック



元々は、最終部の24と25を、2021年時点のロシアにおける反政府運動の話にしたため

どうするか迷いましたが、このまま23で終わりにします