画像は、サンクトペテルブルグの『夏の庭園』内の噴水のひとつです。公園は細い長方形で、河口を目指し両端を流れる運河は、一見、穏やかですが、近づいてのぞき込むと、直線状のためか、すごく速い流れです。落ちたら、おしまいっぽい。
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さて、網の目状に都中を黒く静かに、でも猛スピードで流れる運河のごとく、労働組織や地下組織が離合集散を繰り返し、1898年に大きな組織"ロシア社会民主労働党"が誕生しましたが、1903年に、ボリシェヴィキとメンシェビキに分裂しました。それぞれロシア語で“多数派”と“少数派”ですが、構成員の数はメンシェビキのほうが多かったのです。
矛盾する名称に、「見栄っ張りと、まさかの謙遜の精神?」と不思議でしたが、ある書籍によると、メンシェヴィキは構成員(多分、党員)の数は多かったけれど、党の重要ポストを占める割合はボリシェヴィキが大きかったからのようです。
つまり、シューラパパのように、金のにおいにつられて集まった党員ではなく、がっちがちの少数精鋭がボリシェビキ。入党審査も厳しかったことでしょう。
そして、本をいっぱい読んでの理論武装+強盗並みの行動力+カリスマ性がないと、副議長へは出世できませんね、きっと。