翡翠の歌

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モイカ宮殿 : 主人の秘書の控室 (ステンドグラスと絵画) [亡命とコレクション]




ガイドには"秘書の控え室"とあります。たしかに、他の部屋と比べ、ちょっと不愛想な内装ではあります。


見学した時は、小さなベッドが置いてありました。う〜ん、どうなのでしょうか。まあ、この部屋の階段は、上の奥様の部屋に繋がっているとのことですから、あれがご主人のベッドで正しい?


さらに、目立たない扉も複数あり、秘密の部屋に繋がっているものもあるらしいです。


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以下、コレクションの革命後の行方について、《THE YUSUPOV PALACE》からの引用です(原文は英語)


・・・君主主義の忠実な支持者であるこれらの人々は、王朝の名声と独裁政治そのものを守るために、あらゆる手段を用いた。その結果、彼らはロシア帝政の破滅と帝国の終焉を早める一撃を与えた。3ヶ月後、ロシアには帝政も皇帝もいなかった。


二月革命とツァーリ退位の報に接し、フェリックスはラキトノエ(クルスク県)の領地に亡命し、そこでクリミアから来た両親と妻も合流した。1917年3月、ユスポフ夫妻は戻ったが、サンクトペテルブルクは「完全に混乱していた」。間もなく、イリーナの両親と兄弟を伴った夫妻は、彼らの領地に避難するため、再びクリミアへ旅立った。


フェリックスは宮殿を3回訪れ、最後は1917年の晩秋のことだった。忠実な使用人たちの助けを借り、いくつもの隠し場所に多くの美術品や銀のコレクション、宝飾品を隠した。


彼はレンブラントの最も貴重な絵画2点(双子の男女の肖像画)を持ち帰り、それらは後にアメリカに移送され、1942年以降はナショナル・ギャラリー(ワシントン)に所蔵されている。加えて、セロフが描いたフェリックス・フェリクソヴィッチ公の肖像画と、先祖代々集めた歴史的な宝飾品のコレクションを亡命先に持ち込んだ。マリー・アントワネットのダイヤのイヤリング、ナポリ王妃カロリーネのダイヤの髪飾り、かつてエジプト女王クレオパトラが所有していた伝説の真珠『ラ・ペレグリナ』、『ベンガルの光』と呼ばれる非常に大きなルビー、有名な『ポールスター』、"モロッコ・サルタン"のダイヤ、珍しい黒真珠のネックレスなどである。移住の際、これらの宝飾芸術の傑作のほとんどは古美術商や質屋に売られた。


ユスポフ夫妻は1919年4月13日にロシアに別れを告げ、皇太后マリア・フェドロヴナとともに、アレクサンドル3世未亡人の甥であるイギリス国王ジョージ5世が派遣した戦艦マールボロ号でヤルタ港を出港した。彼らの誰一人として、ロシアの地を再び見る運命にはなかった・・・