サンクト・ペテルブルクのすぐ東にある、ネヴァ川の水源のラドガ湖の東のオネガ湖も、冬期には凍結し、軍用トラックも走行可能になります。この画像は8月半ばの様子です。
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1941年、レニングラードを完全封鎖し、市民の殲滅を目的としたドイツ軍の侵略と空襲、強奪に備えて、エルミタージュ美術館の疎開令が出され、専門家によって選ばれた主要な作品120万点が厳重に梱包され、列車でウラル地方のスヴェルドロフスクへ、残りの作品は地下室などに避難しました。開戦後、わずか2か月の間に、大勢の市民の協力を得て、配置の記録、厳重な梱包、慎重な運搬を行い、モスクワから1850キロ離れた地へ列車で疎開させたのです。
その後も、美術館の地下に掘られた防空壕で2千人の職員が寝泊まりして残り、美術館や作品の防衛はもちろん、研究なども継続しました。冬期にラドガ湖が氷結し、"命の道"が作られ、食料が運ばれるようになってもその量は不十分で、900日に及ぶ都市封鎖で多くが餓死していく中でも行われました。
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アメリカによる、日本全国の一般市民居住地に対する空襲や、広島、長崎への、終戦確信後の"駆け込み実験"で失われた死者も膨大ですが、第二次世界大戦で、最も死者を出したのはソ連です。それも、日本同様に、非戦闘員の一般市民です。
悲惨さを街と記憶に刻んでいるそのロシアが、2022年2月以降、ウクライナを破壊し、殺戮し、子をさらい、文化財を略奪しています。
その美術品をどうしているのでしょうか? 自国のものとして、研究し、戦利品として、エルミタージュ美術館に展示するのでしょうか?
いいえ、狂気に陥っているのはプーチン大統領たちだけであって、美術館に関わる人々はそうでないと信じます。
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第二次世界大戦終戦直後、ソ連は、ナチスドイツがドイツ各地の美術館から奪ったたくさんの美術品を、混乱から守るため、一時的にエルミタージュ美術館に運びました。その間、職員たちはそれらの整理や保管に尽力し、その後、ドイツに返却しました。昨日までの敵国の美術品にですら、そのように接したのです。
まして、ウクライナは同胞の国、親戚も友人もいるはずです。自身や配偶者の体にも血が流れているかもしれません。不可分な関係性なのに・・・。
無論、市民一人では国家に対して何もできません。これは日本だって、私だって同じ。ただ、恐らくは侵略に反対した政治家や軍幹部、富豪や反体制派の暗殺が続く中、自身の命を守りながら、今は静かに大切に保管し、撤退後、速やかに返却されることを切に願います。