玄関ホールから、扉のほうを見た画像です。2重になっています。
下の記事のように、1830年に、姉から邸宅を購入したニコライ・ボリソヴィチの妻、タチアナ。すぐに大規模な敷地全体の改造に取り掛かりました。この玄関は当時、中庭に通じる貫通通路だったようで、そこを大玄関と大階段にしました。さらには、玄関を中心に外観が左右対称になるよう、増築なども行いました。
パーティーの時は、大階段の両脇に贅沢な衣装を着た使用人が大勢立ち、客は、植物に囲まれた赤いじゅうたんを上がり、タペストリーの間へ進んでいきました。
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日常生活では使用人は使えなかった大階段。そこを落ちてきたヒロイン、とっさに抱きかかえる若旦那様。察しのよい子ならそれからの(薄〜い)ロマンスを予期できたのでしょうけど、わたしにはまったく。
かなり後日、馬車の中で、ケガして気を失った彼女を抱きしめるシーン、「えーっ、なんでこの意地悪なのが? えーっ! どゆこと??」と、ひと月もんもんとしました。が、それ以降、さしたる展開はなく…。
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以下、モイカ沿いの屋敷が、ユスポフ家が所有となった様子について、《THE YUSUPOV PALACE》からの引用です(原文は英語)。
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・・・1830年、80歳のオーベルホーフマイスター伯爵夫人、アレクサンドラ・ブラニツカヤ(注)は、1年の大半を空き家になっていた邸宅を、ニコライ・ボリソヴィチ・ユスポフ公の妻である妹のタチアナに売却することを決めた。
夫婦は長い間別居していたが、正式には離婚していなかった。ニコライ・ボリソヴィチはモスクワ近郊のアルハンゲルスコエに、タチアナ・ヴァシリエヴナはサンクト・ペテルブルクのアングリスカヤ堤防沿いの家に、息子ボリスの家族と同居していた。
1830年3月5日、購入証明書によって、親族間の取引が承認され、邸宅とそれを囲む不動産は、ボリス・ニコライエヴィチ・ユスポフ公の名義で登記された。購入額は25000ルーブルと、当時としてはかなり高額だった。すぐに、芸術アカデミー建築学部長アンドレイ・ミハイロフに依頼し、敷地全体の大規模な改造に着手した。
ミハイロフは、後期古典主義の建築様式を取り入れた。中庭に通じる貫通通路を塞いで、その場所に大玄関と大階段を配置し、サンクト・ペテルブルク古典様式の特徴的な色である黄色と白で塗られた、堅固で高さのあるファサードを持つ見事な宮殿に作り上げた。た・・・
(注)アレクサンドラ・ブラニツカヤ
グリゴリー・ポチョムキン公爵の姪でエカテリーナ2世のお気に入りの女官。ポーランド・リトアニア共和国の貴族と婚姻。