01 母と子、父と子
(1)
離れに運び込まれて半月が過ぎた。
もうすぐ生まれる。
ヴェーラも、アンナもレーナも本当によくしてくれる。
でも、多分、いいえ、きっと・・・複雑な気持ちだろう。
このお腹にいるのはレオニードの子ではない。
勿論ヴェーラ以外はその父親の名前を知ることはないけれど。
彼は一度も顔を見せない。
会いたくなど・・・本当に会いたくなどないけれど、聞きたい、聞かなければ・・・でも、怖い。
何故、助けたの?
人質?
それとも・・・体?
あれから二年よ、新しい人がいるでしょう?
敵のものになったから・・・惜しくなったの?
でも今更堕ろせないから、産ませるだけ産ませるの?
生まれた子はどうするの?
ああ! だからと言って、今ここから逃げ出すことはできない。
・・・産んですぐも・・・。
どうしたらいいの? どうしたら?
アレクセイ!
どうやって守ったらいいの? 私たちの赤ちゃんをどうやって?
アレクセイ!
あなたは無事なの?
* * * * *
厳しく見張られている。
この前は何とか隙をついて・・・お腹を庇いながら、どうにか中庭まで逃げ出して・・・でもあっと言う間に捕まって・・・。
それからは手は柱に括り付けられ、アンナやレーナが付きっきり、眠る時も。
「それは・・・その指輪、彼にもらったの?」
「・・・ええ、そうよ」
「大丈夫よ、とったりしないから。かわいいわね、よく見せてちょうだい。象牙? 貝かしら、白い花に緑の葉・・・鈴蘭ね」
「ええ、誕生日にね、くれたの、街で見かけたからって」
「優しいのね」
「貧しくてね、今日食べるものも事欠く生活だった。なのに、なけなしのお金で。嬉しかった、本当に・・・宝物よ。ねえ、手を・・・解いて。ねえ、ヴェーラ、お願いよ」
「・・・それは・・・できないわ。ごめんなさい」
「あなたならわかってくれるでしょう? お願い」
「ここを出てどうするの? どうなるの? その体で。あなたも赤ちゃんも死んでしまうわ」
「彼のところに行くの、戻っている、あのアパートに。だから・・・」
「冷静になって。あなたはいつも冷静だったでしょう? よく考えて。彼は逃げているのよ、戻るはずがない」
「分かってる、そんなこと。知り合いに尋ねるから大丈夫。お願い、助けて」
「ねえ、今回の摘発はね、本当に大規模で徹底したものだったのよ。彼が逃れられたのは奇跡的だわ。彼の組織は・・・壊滅状態で、活動家もその家族も逮捕に抵抗した人たちはその場で殺されているの。辛いけれど・・・ここで傷を治して養生して、無事に産んで頂戴。きっと彼もそれを望んでいるわ」
「無事に産んで!? その後どうなるの? 赤ちゃんはどうなるの? レオニードが助けるわけがない! 殺されてしまう!」
「落ち着いて、大丈夫よ、大丈夫。私が守るわ、お兄様から。必ず守るから。お願い、私を信じて」
「やめて! やめてよ! 嘘を言わないで! あなたは彼の妹よ! 逆らえやしない! 正体を知っているの!? ぶって押さえつけて、娼婦って罵りながら穢した! アレクセイを助けたければ従えって! あの屋敷に閉じ込めて! 何度も何度も毎日のように! ケダモノよ! 人間じゃあない! でも誰も助けてくれなかった! あなただって! あなただって! どんなに叫んでも!! 私は一人で耐えてきたの! 生き抜いた! 穢らわしいあの男から! あなたのお兄様から!」
「ああ! ごめんなさい! ごめんなさい! 許せないわ! そんな悍ましいこと! 妹として一人の人間として心から謝ります! 本当に心から! でも、でも今度こそは必ず守るから! 信じて! あなたはもう私の家族なのよ!」
ああ、私のことなどどうでもいい。
もしまた彼の妾になるのなら、助けてくれるだろうか、赤ちゃんを。
彼の言いなりになるのなら・・・。
いいえ、無駄よ。
どんな約束をしても平然と破る男よ・・・始めから守る気すらない。
助けると言って、生きていると言って・・・また騙すのに違いない。
アレクセイ! 助けて・・・。
* * * * *
(2)
帰邸すると、夕刻から陣痛が始まったと知らされた。
いよいよ、だな。
まずは無事であることを祈ろう、二度も流産を経験しているのだから。
そして・・・その後は・・・子、だ。
どうする?
このひと月、考えが堂々巡りで定まらぬ。
二人だけで暮らさせることはできぬ相談だ。
ようやく取り戻したのだから。
と言って、まさか別の男の、奴の子を視界に入れることは・・・悪夢以外の何ものでもない。
だが、取り上げれば黙っておるまい、おとなしく従うわけがない。
まして孤児院に捨てたり・・・殺したりしたら・・・永遠に許さぬ。
ではどうする?
決まらぬ、決められぬ・・・。
* * * * *
「旦那様、先程ご出産なさいました」
「彼女は?」
「それが・・・出血がなかなか止まらないご様子で、ただいま医師が手当てしております」
「危ないのか?」
駆けつけたい衝動に駆られたが、私の姿を目にするとますますよくなかろうと思い直し、まんじりともせず夜明けを迎えた頃、ようやくヴェーラが知らせにきた。
「お兄様、ご安心ください、落ち着きましたわ」
「そうか」
「・・・子どもは・・・女の子です。金髪の・・・」
「・・・」
「ご覧になりますか?」
「・・・悪趣味だな」
「彼女がとても心配しています。お兄様が子どもをどうされるのか」
「・・・決めかねている。捨てるか、殺すか」
「お兄様・・・お願いです。どうかせめて命だけはお救いください。彼女の、彼女の子どもですわ」
「いや、反逆者の子だ」
「・・・そうです、確かに。でも命ですわ、彼女が育んできた」
「・・・」
「二人目・・・に・・・しないでください。私が奪った命、の。これ以上私に罪を重ねさせないで。お願いです」
「お前のせいではない。第一、そのこととは関係ない」
「・・・お兄様・・・彼女は・・・あの子のお参りに来ていました。ネフスキーの墓所に」
「?」
「お兄様の名代でお参りしました時、落ちていたのです、ミモザの・・・ミモザの花が。今思えばあれは彼の子を授かった頃ですわ」
「・・・」
「お兄様、彼女は忘れてなんかいません、あの子のこと・・・お兄様のことも」
「・・・」
「お願いです、どうか、どうか!」
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