画像の下にちらっと見えている、濃い赤と白のオニキスの縁取りの暖炉が印象的な、"主人の居間"です。
フランス王の"アンリ二世"なのか、イギリス王の"ヘンリー二世"なのか、また、命名の由来も調べがつきませんでした。どちらか所有の家具が配置されているとか? 当時の流行スタイルを取り入れているとか?
ガイドさんによると、「居間にある鏡台の、右側の椅子に女性が座ると美人に、左側に男性が座ると金持ちになる」という言い伝えがあるとか。名称と合わせて、なかなか意味不明な空間です。
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以下、ユスポフ一族の系譜について、《THE YUSUPOV PALACE》からの引用です(原文は英語)。
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〜これは、東洋の野蛮さと壮大さを背景に、タタール人の黄金の群れから始まり、モスクワ大公国、サンクトペテルブルクの宮廷を経て、異国の地へ亡命するまでの一族の歴史だ〜
フェリックス・ユスポフ 『失われた輝き』
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・・・ユスポフ家は、古代の好戦的なイスラム教徒の王族の血筋で、そのルーツを中世まで遡る。
10世紀から12世紀にかけて、ユスポフ家の先祖は東洋の支配者に仕え、後に首長やスルタンとなった強力な軍事指導者であったことを、一族の伝説や古代の家系図が証明している。彼らはダマスカス、メディナ、メッカ、コンスタンチノープル、エジプト、アンティオキアで様々な高官を歴任した。12世紀、メッカのスルタン・ババトゥクレスの三男テルメスは、数千人の同胞とともにカスピ海沿岸に移住した。その200年後、彼の子孫の一人で、ティムールの下で勇敢な野戦司令官として活躍した有名なイェディゲイ(エドゥグ)(1340年代〜1419年)は、ヴォルガ川とヤイーク川(ウラル山脈)の間の広大な地域に、ゴールデン・ホルデ(黄金の遊牧民共同体)の一部として、ノガイ遊牧民共同体を建国した・・・
引用の続きは、第2部 03Л 