対のように、《赤の付け柱の間》もあります。
現物もキラキラして、部屋中に高貴な光が反射して美しくどんな宝石を貼り詰めているのだろうと思っていましたが、『ツァールスコエ・セロー写真集』(イワン・フョードロフ出版)によると、なんと、ガラスの下に鮮やかに染色されたホイル紙を貼っているそうです。
えっ? アルミ紙? アルミホイル?
それって、現代の日本の庶民も、工作や手芸でやってる技法。。。
でも、その色付きアルミホイルも、金箔のフレームで囲むと宮殿に相応しい工芸品になるんですね。
もっとも、アルミは、当時、最先端の貴重品だったのかも。
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以下、アエロフロート機内誌(2015年秋号)掲載の、《華麗なるダイナスティ ユスポフ家》からの引用記事です。
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・・・革命後、フェリックス、妻イリーナ、母ジナイダら一家は、白軍が掌握するクリミアにある宮殿に逃れ、1919年の春、英国王ジョージ5世の差し向けた戦艦マールバラで国外に脱出し、フランスに居住した。
当時、フランスに逃げ延びた亡命者は約30万人。昨日までの公爵が艀で荷を担いだり、タクシー運転手をしたりという境遇も珍しくなかった。
ユスポフ家が没収されたのは、主なものでもサンクト・ペテルブルクの4邸宅と6アパート、モスクワのアルハンゲリスコエの邸宅、そのほかロシア全土に30の邸宅があった。
これほどの財産を失いながら、宝石やレンブラントの絵画はじめ手元に残された莫大な富で、パリ・ブルゴーニュの森に家を買い求めるなど、相変わらず奔放な生活を続けていた・・・
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