翡翠の歌

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モイカ宮殿 : 夫人の私室 (隠し扉) [ユスポフ一族の系譜D]




階下の、主人の寝室と繋がる階段が隠れています。

・下の部屋の階段 第4部 07 


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以下、ユスポフ一族の系譜について、《THE  YUSUPOV  PALACE》からの引用です(原文は英語)





・・・ニコライとタチアナ・ユスポフ夫妻の息子であるボリス・ニコライエヴィチ・ユスポフ(1794年〜1849年。1830年にモイカ川沿いの家を購入)は、父の莫大な財産と多額の負債を受け継いだ。また、彼は母親の財産を彼と義理の弟アレクサンダー・ポチョムキンとで分けた。彼はサンクトペテルブルク貴族の元帥であり、国務評議員、侍従長(ホフマイスター)、守護者評議会の名誉会員であった。誠実で信心深い人物で、非常に率直であったことで知られる。彼は実務的で、芸術の後援者ではなく、その代わりに主にビジネスに没頭していた。250デシアティーナ(1デシアティーナは約2.7エーカーに相当)の土地と、そこに住む4万人以上の男女の農奴を受け継いだ彼は、領地の管理に細心の注意を払い、ほぼ完璧に機能させることで、領地がもたらす利益を増大させた。


ボリスの魅力的な妻、ジナイダ・ユスポワ(旧姓ナリシキナ、1809〜1893年)のおかげで、モイカ宮殿は変貌を遂げたのかもしれない。彼女は美貌の絶頂期にモイカ宮殿の女主人役を引き継いだ。ニコライ1世も彼女のファンだった。後に皇帝ナポレオン3世も彼女を気に入ったが、彼の誘いには応じなかった。ボリスの死後数年して、ジナイダは2度目の結婚をし、フランスに移り住み、その社交界で非常に人気があった。曾孫のフェリックス・ユスポフは少年時代にパリを訪れ、後に回想録にこう記している。「とても高齢にもかかわらず、彼女はまだ美しく、堂々とした風貌と貴族の風格を保っていた」・・・


*引用の続きは、第4部 09