翡翠の歌

映画の紹介




モスクワは涙を信じない
Москва Слезам Не Верит


ソ連時代の終盤、1979年に製作された映画で、翌年、アカデミー外国語映画賞を受賞、珍しくすぐに日本でも公開されました。と言ってもロードショーではなく、アングラ的な小さい映画館でだったと記憶しています。貧乏学生の私は現代と変わらないくらいの(むしろ高い)チケット代を何とか工面して観に行きました。


映画を国内外へのプロパガンダの手段としていたソ連共産党が積極的に海外に出した、これまでになかった(英雄でない)平凡な悩める女性を主人公にした内容に対し、日本の観客にも様々な感想が生まれました。共産党や社会党に共感する人たちにはソ連らしくなく、内容が軟弱で薄いと思われたようですが、単純に"ロシア"の歴史や文化、民俗などに親しみを抱いているだけの私のような人たちには、これまでの「暗部など一切ない幸せな共産主義国家万歳」一辺倒だったのに、「やっぱり暗部もある、苦悩も差別もある、それが普通の現実、どの国でも主義下でも変わらない」と弱みを世界に公開したのは驚きであり、変化(今考えれば、ソ連崩壊)に繋がる何かを感じました。もっとも、アメリカやフランスの映画を見慣れていた日本人には所詮は"共産党の映画"どまりですから、一般にヒットすることはありませんでした。


当時のソ連では共産党の考えが絶対でしたので、映画を作成した人たちが込めた真意は分かりませんが、共産党指導部や映画担当部署の幹部へのアピールとはまた別の意味が込められていたとするのが妥当です。本心や本当の目的を言ったら、映画製作は認められませんから(それどころか失職してラーゲリ送りです※)。これはかわいいキャラクターで日本でも愛される"チェブラーシカ"も同様です。共産党に靡かないため放送局の中心から遠ざけられた非エリートの人たちに与えられた"重要でない"子ども番組担当。そこで作られた一見ただの子ども向けの、教訓的で博愛主義的な"チェブラーシカ"のお話。でもそこに反政府、反共産党のメッセージを当時の国民の中の、信念のある人は読み取っていたのです。


いずれにしても、まだ純粋で単純だった私は主人公の心境にそれなりに共感できました。


※政府共産党の意に沿わない(反体制派)と有害認定された人物はどこも誰も雇いません。"自分で自由に起業"という仕組みがないので、雇われないと"無職"となり、無職が犯罪であった当時、ラーゲリに入れられて、順当な人生はおしまいだったのです。ラーゲリ(ЛАГЕРЬ)はキャンプという普通に使われている単語で、日本語では強制収容所や矯正収容所と訳されています。特にスターリン時代には全土に作られ、正にソルジェニーツィンの記録文学"収容所群島"となりました。ラーゲリに送られたのは一千万人とも一千五百万人とも言われ、明らかな犯罪者だけでなく、反体制派っぽい行動をした知識人や、共産主義への矯正が必要と見なされた(生意気な)市民、日本人捕虜がどんどん連れていかれました。なぜ? 共産主義の強化のみならず、シベリアに鉄道を敷設したり、鉱山でタダで働かせ、死んでも構わない作業員がたくさん必要だったからです。


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<あらすじ>
主人公の学生エカテリーナは花形職場であるテレビ局カメラマンのルドルフに逆らえず妊娠、捨てられて、一人で子育てしながら学業と仕事をし、出世していく。20年後、愛人ヴォロージャがいる一方で、普通の労働者ゴーシャとの結婚を意識し始めた時、偶然再会したルドルフに付きまとわれる。果たして・・・。


映画は、ゴーシャとの結婚を予感させる場面で終わるのですが、このゴーシャの悩みというのがくだらなくて(女性が自分より社会的・経済的に上なのが我慢できない)、優秀で自立している主人公がなぜ惚れるのか、私にはまったく共感できませんでした。今考えれば、ヴォロージャ(ちょっとした有力者だけど年配の既婚者)、ゴーシャ(主人公より低収入だけど家庭的っぽくて優しいっぽい)、ルドルフ(出世できなかった落ちぶれたマザコンおじさん)の三タイプしか、当時のそこそこ優等生そこそこ高収入の子持ち中年女性には選択肢がなかったのかもしれません、悲しいけれど。で、主人公は一番マシなのとの人生を選んだ・・・? 閉塞感だらけの映画でしたが、これでも画期的な内容だったのです、当時は。





一つの背景として、ソ連時代(というより第二次大戦後)は、男性以上に女性がひどく苦労していたことがあります。そして今でも続いているのかもしれません。


よくソ連は男女平等、男女対等の「世界の先端を行く素晴らしい世界」と喧伝していましたが、実のところ、飲酒によって恒常的に平均寿命が短い上に、第二次世界大戦で多くが戦死し、労働力としての男性が極端に少なくなり、女性が工場や農場でフルで働かなければ社会が成り立たなくなったのが実態です。


そして、女性に家事や子守(子育て)を"させない"ために、スタローバヤ(街の定食屋)や保育所がたくさん作られました。ですが、日本でも"名のない家事"などと言われるように、食堂で食べ、勤務時間にこどもを預かってくれれば残りの家事はほんの少し、なんてことはありませんよね。結局、一皮むけば意識は、殴るの大好き男尊女卑なので、家事も女性だけが担い、まして生活物資不足に加え非効率な販売方法により、缶詰一つ買うのに行列、パンを買うのにまた行列、休日にはダーチャという名前だけはしゃれた郊外の家庭菜園での畑仕事と越冬用保存食づくり・・・。女性は働きづめでした。そりゃあ、年齢が上がるほど表情も態度も険しくなりますって。