1147年に記録に現れた歴史ある都市で、有名な"赤の広場"(=美しい広場)に面したクレムリンを中心にした同心円の環状道路と放射状の幹線道路で構成され、それらの地下には地下鉄が通っています。現在の人口は約1270万人で政治や経済、ギリシャ正教の中心地です。13世紀末までは辺境の町に過ぎませんでしたが、モスクワ大公国の都となってから発展を続けました。ロシア帝国時は実際の首都機能の中心はサンクト・ペテルブルクでしたが、それはピョートル1世が問答無用に既成事実を作っただけで正式手続き的には遷都されていないという説をとれば、ロシア帝国、ソビエト連邦ロシア共和国、現在のロシア連邦に至るまでずっと首都です。
因みに、クレムリンとは外敵から防御するための"城塞"を意味しますので、ロシアの大抵の都市にもあり、そこから環状道路や放射状道路が広がり、マルクス大通りやレーニン広場があります(ソ連崩壊後改称されていますが)。つまり、ロシアのどの地方都市に行っても街の構成は似たり寄ったりなのですが、モスクワはその規模が違いすぎます。
そして、ソ連崩壊後の混乱を経て、西側の資本が入り、世界中とのビジネスが盛んとなり、大富豪が多く生まれてつい最近2022年前半までは我が世の春を謳歌していました。2016年のアメリカの経済紙『フォーブス』によると10億ドル以上の個人資産を持つ大富豪はニューヨーク、香港に次いで世界で3番目だったとか。YouTubeでロシアの地方都市や田舎の生活の様子を観ていた方にはお判りと思いますが、モスクワとモスクワ以外の人、そして、モスクワでも大富豪と一般市民の生活水準の格差は日本の比ではなかったです。
地方から考えるモスクワは自国の首都ではなく、どこか外国の都、それどころが別世界、宇宙の果ての魔都であるそうです。広すぎる国土や多民族国家であることも加え、帝政時代やソ連時代同様、「モスクワはあっちの世界、自分たちとは無関係(勝手にやってくれ)」という考え方(感覚)が、現在のウクライナに対する侵略戦争への他人事感覚に繋がっているようにも思えます。
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ロシアには国内用のパスポートがあり、特にソ連時代は今以上に移動や移住が厳しく制限されていて、生まれた土地で暮らしていくのが当たり前でした。生活圏外に出られるのは旅行でさえも稀なことで、例えば学業や芸術、スポーツ、党活動などの功労への表彰等のために共和国の首都に呼ばれ、さらに優秀であれば連邦首都モスクワに呼ばれるくらいです。
もちろん、血気盛んな若者なら大抵は憧れるその"モスクワ"に住んでいるからと言って全員が一様に恵まれているわけではなく、この映画で描かれているように、格差も差別もありました。むしろ地方より大きいものだったでしょう。
そんな中、夜になり汚いものが覆い隠されて、どの都市でも見られない煌々と輝く環状道路の街灯と絶えない車のライトで浮かび上がる指輪のような光。日中の仕事の後、赤ちゃん(アレクサンドラ)の夜泣きをなだめながら、大学や仕事の勉強をし続けた主人公。思わず涙が出てくる、でも泣いていても誰も助けてくれない、分かっているけれど・・・もう少しすればまた朝が来て、薄汚れてささくれて見返りのない日常が始まるけれど、今のこの瞬間だけはこの明りに慰められていたい、自分にはそれしか輝くものがないのだから・・・主人公はそう思っていたのかもしれません。