原産地のアンデス山脈チチカカ湖周辺の高原地帯原産では、すでに様々な種類のジャガイモが食べられていました。やがて16世紀初めにインカ帝国を侵略したスペイン人によって持ち帰られ、当初は植物学者の研究用や観賞用に(ナス科なので薄紫の花がかわいいですものね)、そののち食用として広まりました。ジャガイモのおかげでヨーロッパの国々やその民は凶作や戦乱時の飢饉を乗り越えられました。それは1600年頃にオランダ船によって長崎にもたらされた日本も同様で、天保の大飢饉では御助芋(おたすけいも)と呼ばれました。
しかし、見た目も現代のものと異なり、黒っぽくて小さかったジャガイモは最初から順調に食用として受け入れられたわけではありません。特に教会は"聖書に載っていない危険な食べ物『悪魔の作物』"として、食べないよう信徒に説きました。また、播種して栽培する植物でなく、種芋で増える点や地下茎を食べる点もそんな作物は未知のものだったので忌避されたそうです。因みに、芋というものはジャガイモ以前にはヨーロッパにはないものだったらしいです。
そんなこんなで、富国強兵のため、為政者や経済学者が必死に奨励するもなかなか広まりませんでしたが、まずは農耕が不適とされたアイルランドや北ドイツ、東欧、北欧で食文化を変えるほどに盛んになりました。そうするうちに他の地域でも相次ぐ戦乱や凶作で迷信どころではなくなったため、どんどん広まっていき、ついには『(小麦を買えない)貧者のパン』と呼ばれ、数々の食糧危機や経済困窮を救うことになりました。