翡翠の歌

9、『ルタバガの冬』という汚名




第一次世界大戦中の1916〜1917年、ドイツは飢餓状態に陥りました。食糧(主に小麦)や飼料(主に大麦)の3〜5割をロシアやルーマニア、アメリカなどからの輸入に依存した状態で、それらの国と開戦したからです。


政府の"計画"では短期間で終わるはずだった戦争が長引き、自給可能だった国民食ジャガイモも大凶作や価格統制に端を発した作付忌避や飼料への転用などで流通しなくなった時に思い出されたのが"ルタバガ"。


当時"ルタバガ"は豚の飼料でしたが、カラスやスズメを食べる状況の上、スペイン風邪が流行し、どうしようもなくなって人間の食材に復権しましたが、ジャガイモに比べればおいしくなかったのでしょう。また化学物質の徴発により十分な肥料もない栽培では貧相なルタバガしか収穫できなかったのかもしれません。


そこでこの時期を、「(まずい)ルタバガ(しか食べ物のなかった悲惨な恨み)の冬」と名付けたのです。"ルタバガ"のせいじゃないのに。そしてこの時の民衆の不満がドイツ革命やヒトラーの台頭の遠因と言われていますから、食べ物の恨みは恐ろしい。