ヨーロッパ同様ロシアでも、ピョートル大帝の改革に反発する教会の批判もあり、なかなか広まりませんでした。一説では、地下茎だけを食べると教えられなかった民衆が、葉っぱも食べる"ルタバガ"のつもりで有害なソラニンを含む葉や茎も食べて中毒を起こし、ますます悪評が広まったそうです。きっと「自分たちには、ずっと食べてきたおいしい"ルタバガ"がある、なんであんな恐ろしいものを食べなければならんのだ」と思っていたでしょうね。
その後、恐らく出身地のドイツ(プロイセン)でおいしいジャガイモ料理になじんでいたエカテリーナ二世が栽培を奨励し、やがては"第二のパン"として広まっていきました。もしかしたら、ジャガイモからもウオッカが作れるのも受け入れられた理由かもしれません。更には流刑になった青年将校たちの働きにより、シベリアにも定着したと言われています。
そうして"ルタバガ"はジャガイモに駆逐され、ついにロシアは中国、インドに次ぐ世界第3位(2010年総務省統計局)のジャガイモ生産国に、栽培面積では世界一になったのです。ソビエト政権崩壊時、ロシア国民を飢餓から救ったのはたくさんの小さなダーチャで栽培された大量のジャガイモ。ロシアでのジャガイモ生産量の8割(2010年ロシア国家統計局)をダーチャが生産しているからこそ、あの国難も乗り越えられたのです。
↑『ダーチャですごす緑の週末 ロシアに学ぶ農ある暮らし』 豊田菜穂子著 WAVE出版 2013年発行
一方、場外へ追いやられた"ルタバガ"は、食の復古主義とでもいうのでしょうか、昔の食材が見直されている、懐かしがられている一部の風潮の中で、そういう人や店用にごく細々と栽培はされているようです。