今思えば、行かなければよかった・・・あんなことになるのなら・・・。
でも会いたかった・・・恋が潰えた同士として。
* * * * *
どうしているのだろう・・・。
あれから二年が経つ。
黙って死ぬつもりだった、あの時・・・私の為に・・・私達のために。
案の定、玄関ホールでアンナと押し問答になった。
「おどきなさい!」
「なりません!」
騒ぎを聞きつけてか二階の部屋からお兄様が出ていらした。
何故お兄様が? こんな時刻に?
アンナの制止を振り切って駆け上がり、扉の手前でロストフスキーに取り押さえられ、お兄様越しに見ると彼女が・・・ほとんどはだけた部屋着のまま私を見ていた、虚ろな瞳で・・・。
ここからでもひどく痩せ細っているのがわかる・・・そして二人の・・・関係も・・・。
「お兄様! こんな・・・こんなふうにするなんて・・・。酷い、お兄様!」
「お前には関係ない、出て行け!」
「嫌です! こんなに痩せて・・・。お兄様はご命令で閉じ込めておられるだけだったのでしょう? ああ! まさかご自分の! 逃れられない女の子を・・・。彼女はあの人を追ってきたのよ! 彼は死んでしまってもそれは変わらないのよ!」
一瞬、お兄様の表情が凍りついた・・・。
次に続いた無音の時間がひどく長く思えた。
*
「・・・死んで・・・しまった?」
ふらりと立ち上がり、弱々しい足取りで近づいてくる。
「?」
「死んでしまった? ヴェーラ? 誰? 誰が?」
「お・・・兄様・・・。まさか教えていないのですか? 彼のことを?」
「・・・」
「彼? 彼って? ヴェーラ? 死んでしまったって?」
「・・・落ち着いて聞いて・・・彼は、彼はね、もう・・・この前の冬に・・・監獄の火事で亡くなったのよ」
「・・・え? 火事? 嘘・・・嘘よ。そんな・・・はず・・・ない・・・。だって・・・守ってくれるって・・・約束して・・・従えば・・・従えば守ってくれるって・・・」
「お兄様! 何て言う! 卑怯です、まさかお兄様がこんな卑劣なことをなさるなんて! 一人ぼっちの女の子に!」
「これは我々の話だ、お前には関係ない! ロストフスキー! 連れ出せ! 屋敷に連れて行け!」
「放しなさい! お兄様! 彼女と話をさせてください!」
「必要ない! 口出しは無用だ! ロストフスキー!」
「放しなさい! お兄様! 卑劣です! 何故お兄様ともあろう方が! あんなに輝いていた彼女を変えてしまって!」
* * * * *
もう何も聞こえていなかった、兄妹の言い争いなど。
クラウスが死んだ、死んでしまった・・・。
この手の届かない最果ての地で・・・。
再び会うこともなく・・・声すら聞くこともなく。
極寒の地で劫火に焼かれて・・・どんなに辛かっただろうか、苦しかっただろうか・・・。
なのに私・・・ずっと知らなかった・・・。
言いなりの毎日がクラウスの為になっているって信じていた、だから耐えてこられた。
この前の冬に・・・それなら・・・この子は・・・?
小さくなっていくヴェーラの声がこだまする中、ふいに焦点が彼の瞳に合った。
笑っている?
笑っているのね?
愚か者だと・・・勝手に信じて・・・勝手に耐えていた。
卑劣な男と罵っていたくせに呑気に信じていた・・・確かめる術も持たないのに、その言葉だけに縋って・・・どんな気体より軽い言葉だったのに。
暴力と侮辱の言葉を封印して少し優しくすれば喜んで抱かれて挙句に孕んで・・・出来損ないの娼婦にはひとかけらの真実も必要ないと・・・。
いいえ、私は娼婦でもない・・・あなたは僅かなお金も払わずに抱いていた。
笑いながら歩み寄り、両手を伸ばしてきた。
さあ寝室に行こう、あの男は忘れたはずだろう? 今更何と言うほどの報せでもあるまい。せっかく昼間に来られたのだ、二人で楽しもう・・・
そう聞こえた、確かに!
激痛が走り、同時に何かが流れ出た。
医者を呼ぶ大きな声がどこか遠くで聞こえ・・・けれど、あの子は帰ってはこなかった。
* * * * *
「満足か?」
「・・・」
「満足か! あの男の仇を私たちの子でとったのだからな!」
「お兄様・・・そんなつもりでは決して! 知らなかったのです! まさか赤ちゃんが・・・」
「ではどういうつもりだったのだ? シベリアの囚人を想い続けてそれがあいつの為になるとでも? 一生この地で生きていかねばならぬなら、よすがの一つも必要だろう! 違うか!」
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