(1)
無理に作った笑顔、絞り出す小さな声。
反対に、聖書を諳んじるごとくスラスラと出る感謝と謝罪の言葉。
かと思えば、空を見つめ、時が止まったかのように凍りつく。
心は、まるで見えぬ殻に囲まれているようだ。
流れ出なくなった涙と母と奴への思いだけで満たされ、私への感情などもはや入る隙間もない。
瞳には私は映らず、ピアノの音すら通過する。
全て私が要求したことだ。
彼女は忠実に従い、私は薄い微笑で満足せざるを得ん。
手綱をつけられた野生の馬、温室に入れられた熱帯の花・・・これが私の欲しかったものなのか。
だがこのままでは、それさえも失ってしまう・・・このままでは・・・。
* * * * *
(2)
「奥様、ユスーポフ侯爵様がお目にかかりたいとお越しになられました」
「あら、珍しい。サロンにお通しして。すぐに参ります」
「お久しぶりね、レオニード!」
「突然すまない。息災で何よりだ。侯爵には先日冬宮でご挨拶申し上げた。セルゲイやボリスは変わりないか?」
「ええ、元気にしているわ、あの子もリツェイでなかなかよい成績のようよ」
「それはよかった」
「あなたも元気そう・・・よね?」
「まあ・・・顔色が悪いのはいつものことだな」
「もう少し身体に気をつけないと」
「わかっている」
「ヴェーラは? 最近お会いしないけれど」
「リュドミールについてモスクワに行った」
「ああ、幼年学校ね。次の休暇には帰ってくるのでしょう?」
「まあ、多分な」
「そう」
「突然の訪問ですまぬが、頼みがある」
「あら、何かしら?」
「ある女性、もうすぐ二十だ。時々話し相手になってやってほしい」
「どのような方?」
「トゥーリスカヤ通りの別邸にいる、二年近く。名はマフカ・アレクサンドロヴナ・ロサコワ。本名はユリウス・レオンハルト・フォン・アーレンスマイヤ。まあこれも一種の偽名だが」
「え? フォン・アーレンスマイヤですって?」
「・・・例の・・・持ち主だ」
「なぜ? なぜ、そんな方がここに?」
「カレン、これは・・・今日の話は、侯爵にもセルゲイにも・・・ミハエルにも内密に願いたい。ユスーポフ侯爵家の浮沈に関わる」
「・・・信用して、レオニード。私も一族の一人ですもの、決して口外しません」
「ありがとう、カレン、感謝する」
*
「あれは・・・三年ほど前に突然この都に現れた。偶然見つけ本邸に連れて行き、陛下から保護命令をいただいた。保護という名目の監禁だな。それ以来別邸に移して外出も他者との接触も一切絶っている」
「・・・若い・・・娘さんよね?」
「そうだ・・・事情があり故郷では男と偽っていた。父親から例のものを相続している。相応しい教育も受けているが・・・監禁状態が続いたからなのか、どうも近頃様子がおかしいのだ」
「それで話し相手に。でも、なぜここに?」
「・・・故郷の学校で知り合ったロシア人と恋仲になり、帰国したその男を追ってきた」
「・・・どなた、なの?」
「あの・・・ミハイロフ侯爵の弟だ」
「何てこと・・・」
「無論、思想とは全く無関係で、ただの・・・学生同士の恋、子どもじみているが。だが、よほど故郷にいるのが辛かったのか出奔し、追いかけてきたのだ、役目を放り出してな」
「まあ。一途な方なのね」
「それが厄介なのだ。未だ諦めぬ」
「?・・・レオニード・・・一つだけお聞きしたいわ」
「何か?」
「ただ・・・閉じ込めているだけなの?」
「・・・」
「わかったわ、明日の午後に伺います。もう少し彼女のこと教えてちょうだい」
*
「カレン様、お待ち申し上げておりました」
「久しぶりね、アンナ」
「どうぞ、サロンに」
このサロン・・・調度品は見事なものばかり、でも温もりがない。
あまり、いえ、全く使われていないようね、来客がないのですものね。
それに・・・カーテンに隠されているけれど・・・鎖鍵が、全ての窓に扉に。
かわいそうに。
二年もこんなところに閉じ込められていたら、おかしくもなるでしょう。
やがて静かに入ってきた姿に目を見張った、その美しさに。
輝いて流れる金髪、陶器のような白い肌、薔薇色の唇、翠がかった深い碧い瞳。
天使か女神だわ。
彼の理性も抗えなかっただろう、とても。
でもそれは、彼女の望みではないわね、今も。
「初めまして!」
「・・・初めまして」
*
結局、当たり障りのない話を一方的にし、合奏する約束を無理やりさせて辞した。
彼女は弱々しい声で相槌を打つだけで、自分の話は何もしなかった。
それは・・・禁じられている上に、初対面の私に打ち解ける気持ちになどなれなかったのだろう。
話したところで何がどうなるというものでもないし。
彼女は幼い時からずっと母親と引き離されていたと聞く。
ようやく再会して、なのにすぐに亡くなってしまった。
アレクサンドラ。
あの子もやっと八つ。
鍵の為に・・・イギリスに渡ってもう六年だわ。
替わりに嫁いできたシャーロットも同じ。
かわいそうな子どもたち。
マフカもアレクサンドラもシャーロットも・・・。
少しでも彼女の力になれるのなら。
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