到着するや否や外套を脱ぐ間もなく、アンナが血相を変えて訴えてきた。
夜中に半狂乱で扉を叩き叫び続けたと言う。
甘やかすと今後のためにならぬと放っておき、様子を見ると気を失って床に倒れていたらしい。
ここ三日、か・・・ひどい吹雪だったな。
部屋に入ると長椅子で膝を抱えていた。
夜着の輪郭で一段と痩せたのがわかる。
どうした? 眠れぬのか?
・・・
アンナが心配しているぞ
・・・
声を・・・声を聞かせてくれ、なぜ黙っている?
どうにも埒が開かず、今夜から薬を飲ませるよう指示した。
* * * * *
それから・・・気にはなっていたが都を離れた任務や宮廷行事が続き、久しぶりに訪れた。
薬の効果で騒ぎは起こさぬようになったが、相当な量を処方せねばならず、影響が日中まであるらしい。
しかも食事をとっておらぬと言う。
「また我儘を言っているのか」
「いえ、それが・・・召し上がろうとなさっているのですが、すぐ戻されてしまって」
「戻す?」
「はい、大変にお辛そうで。先ほども湯浴みの最中にご気分がお悪くなって」
「無理をさせることもなかろう、寝かせておけ」
「そうも参りません、若旦那様」
アンナが暗に何を言おうとしているのかはわかっている。
だが・・・まだ・・・。
*
薄暗い中、夜着の彼女は床に蹲っていた。
ほとんど聞き取れぬ声で泣いている。
人は、こんな泣き方をするものなのか。
寄り添って座り髪を撫でるとようやく気づき、伯爵? と小さく言いながら僅かに顔を上げた。
が、私と分かるとすぐに元の姿勢に戻ってしまった。
冷え切った体を引き寄せ背中を摩り温める。
こんなに痩せて・・・このままでは・・・。
「辛いのか?」
我ながら馬鹿げた問いだが、何と声をかけてよいかわからぬ。
天使は俯いたまま声を殺して泣き続けるだけだった。
拘禁状態が続くと人は精神に異常を来たすと言う。
例え狂ったとしても死ぬまでここに閉じ込めておく、それが私の役目だ。
そうだ、お前がこの屋敷を出るのは死んだ時だけだ。
しかし、死ぬことは許さぬ。
「食事をとっていないそうだな?」
「・・・ご・・・めんなさい」
「約束したはずだが」
「・・・さい。少しは・・・食べて・・・。きっと・・・必ず・・・ちゃんと・・・」
「待てぬな」
「ごめんな・・・さい。許して・・・」
「許せぬ。助命の条件だったはずだ」
「ご・・・ごめんなさい。必ず・・・から・・・元気になる・・・お願い・・・彼に・・・何もしないで・・・」
「・・・いい加減、強情を張るのはよせ。もうあの男は忘れろ、そうすれば楽になる」
微かに首を振った。
「生きて再び見えることはない。その上、奴はお前をただの知り合いと言ったのだぞ。無意味な過去は忘れるのだ」
「忘れない!」
きっとこちらを見て叫んだ、こんな声を聞くのは久方ぶりだ。
私の中で、何かが・・・最後の何かが・・・ちぎれた。
「そうか、それならば私が忘れさせてやる」
初めての彼女の唇。
初めての彼女の首筋。
初めての彼女の胸。
初めての彼女のあわい。
マフカ! マフカ! 必ず幸せにする! だから私のものになれ!
もはや引き返せはせぬ。
私はこの六年の想いを無力な彼女に受け取らせた。
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