翡翠の歌

18 心奥




(1)



何か・・・痞えが取れたようだ。

遠征先でも考えあぐねていた"関係"、これからの・・・。
このままでよいはずはない・・・だが、どうにも見つけられず、宙に浮いた状態で別邸に行った。

天使は・・・憮然としていた、また私の相手をしなければならないのかと。
降りてくることもなく、踵を返し部屋に戻ってしまった。
晩餐室に来た時も申し訳程度の挨拶をして。

少しは・・・待っているのではと・・・都合よく思っていたが。
あいつの姿、あいつの声、あいつの匂い・・・。
どれほど恋しかったか、お前には分かるまい。
これまで遠征先で私事を考えるなどなかったこの私が・・・。



愛している・・・

自然と出た・・・言葉が。
ヴェーラやリュドミールへの愛や祖国へのとは違う。
初めての・・・愛・・・だ。

自分に驚いた・・・そのような言葉が己の中にあったとは。





あの夜、弱った身体で必死に抵抗した。
私はただ怒りにまかせて・・・。

あの必死さ・・・操を守る為、監禁者に過ぎぬ私のものになることへの拒絶・・・だけではなかったのだ。
気づかなかった、まさか。
男と女の交わりを知らねば・・・それは・・・恐ろしかったろう。
だが気づいてやれなかった、怒りで。



何に対する怒りだ?

従うべき立場の者が、まして女が、この私に逆らう無礼に対してか?
手に入れたいと思った・・・そのお前の心を知らぬ間に奴が奪っていた、どうにも除けぬほど深く刺さった楔のように強く奪った愚行に対してか?
いずれにしても、お前には何の科もないことだった。



手荒に扱われても言葉でいたぶられても、お前の心からあの男は消えなかった、諦めなかった。
そして私から逃れ、かえってより深くまで刺さって行った。
だから・・・更に更に傷つけ楔を取り出したかった、血を流し痛みに泣き叫んでも。
それがこの国で囚われていなくてはならぬお前の為になると・・・そう理由をつけていた。



違う・・・決して。

ならば・・・あのまま本邸に置いておけば済む話だった。
そしてリュドミールと戯れさせておけばよかったのだ。
鞭の傷ならばいずれは癒えたのだから。



そうだ、私自身の為だ。

微かには気づいていた・・・俗な欲望の故と。
自由になる女がそばにいる、例えあれでなくとも都合のよいことだ。

だが・・・それのみならば、あれほどに悩む必要があったろうか?
取り敢えず拒みはせぬのだから・・・拒んだとしても力で押さえ込めばよいのだから。
お前が頭の中で何を考えていようと、ほかの男を忘れなかったとしても・・・構わぬはずだった。



愛していたのだ、ずっと・・・初めて会った時から。
これが・・・愛という感情だったのだ。

お前があの男に抱いている想いと同じ。
理屈でもなく打算でもなく説明すらできぬ・・・自分を危うくしても、いや益々強くなっていく想い。



ようやくわかった、お前をここまで追い込んでようやく。

消せは・・・せぬのだな、愛は、愛というものは。
私がそうであるように、お前も。
お前がそうであるように、私も。



待つしかない、お前の中に私への愛が生まれて育つのを・・・。
それがあいつへのより強く大きくなるのを・・・いつか。


*     *     *     *     *



(2)



愛している・・・


聞き間違えではなかった、ピアノのそばで囁かれた言葉。

なぜ?

抱き方も優しくて・・・青あざができるような扱いはされなかった。

なぜ?

口を開けば娼婦だとか、これでよくあいつの恋人だと言えるなとか、そんな蔑みの言葉だけが出てきたのに一つも聞かれなかった。

なぜ?

体はもう自分のもの・・・。
次は・・・少し優しくすれば・・・心も従うと?

遠征の間に考えてきた?
あなたの新しい作戦?



心など・・・必要ないでしょう?

あなたは強い人。
身分も権力も財産も、絶対に従う部下も使用人も、何もかも持っている。
この広い国にあなたを凌ぐ人など何人いるの?

何も持たない私は・・・クラウスの命を助けるために、ただあなたの気まぐれに縋って従って・・・顔色を窺いながら機嫌を損ねないように。
そんな私からあなたは・・・彼の名を口にする自由も涙を流す自由も・・・彼との少ない想い出も奪った。

でも心だけは自分のもの・・・そしてクラウスのもの。
ひとかけらもあなたにあげはしない。

愛してなどいないのだから・・・一度も。
愛すことなどないのだから・・・永久に。

欲張り過ぎよ。





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